状況 2019・国際 逢坂秀人
香港における二〇〇万人デモの深層
帝国主義の「自由と民主主義」の名による介入を許すな!


 香港では今年の二月、行政府によって容疑者の身柄を中国本土にも引き渡すことができる「逃亡犯条例」改正案が提案され、これに対し一〇〇万、二〇〇万人の抗議デモが続いた。香港はすでに米国など二〇か国と犯罪人引き渡しの協定を締結していたが、中国本土やマカオ、台湾との間にはなかった。
 改正案のきっかけとしては昨年、台湾で発生した香港人による殺人事件があった。犯人は香港に逃走したが、香港と台湾との間には、引き渡し条例がないので身柄移送が拒否され、台湾の法廷において裁くことができなかった。香港政府の行政長官林鄭月娥(キャリー‐ラム)は年初に、改定の方針を表明し、四月から立法院(議会)で審議入りした。
 香港は、現在中華人民共和国香港特別行政区として中国の一部(一地方)であるが、アヘン戦争(一八四〇~四二年)の結果として英国領植民地となり、アジア太平洋戦争時の一九四一年から日本敗戦までは、日本帝国主義の侵略戦争のなかで日本の占領下にあった時期もふくめて、一九九七年の香港返還まで一五〇年の長きにわたって帝国主義の植民地支配と統治下にあった。香港問題を考える際にはその歴史的経緯を無視することはできない。
 英国からの香港返還(一九九七年七月一日)後は、中英共同声明(一九八四年調印)にもとづき、香港の高度な自治および諸権利・自由を尊重し、香港基本法を定め、香港の資本主義制度を五〇年間(二〇四七年まで)維持するという「一国二制度」を採用した。
 今回の「逃亡犯条例」改正の提案には、審議に入るまでに内容を周知徹底する期間が二〇日間しかないという拙速さは否めないが、抗議デモの背景として、より根本的には中国中央政府の共産党指導による司法制度、その法治のあり方にたいし、欧米的な人権・民主主義の価値観からする不信感があると思われる。英領植民地の負の遺産としての「現状維持」=資本主義制度の維持を柱とした「一国二制度」が崩されるのではないかという今後への警戒心が中国敵視、反中国共産党のポピュリズムとして「親中国派」の経済人などをも巻き込んだうねりとして噴出したとみることができるだろう。そうした意味できわめて階級的性格を帯びた行動といってよい。
 すくなくとも矛先は中国中央政府に向けられている。七月一日香港返還二二周年に立法会に突入したグループの映像を視たが、香港議会の議場の背後にある旗と中華人民共和国香港特別行政区という署名を黒スプレーで消去し、演壇に英連邦への帰属を示すユニオンジャックの旗を掲げたのには驚いた。かれらは英領植民地に復帰しようとでもいうのだろうか。一連の抗議運動のなかでふりかざされる「自由と民主主義」とはなにを意味するのだろうか?

「今日の香港は明日の日本」?

 六月九日に主催者発表で一〇三万人の大規模デモが発生した。デモの中心は二〇〇三年に治安立法である「国家安全条例」廃案のための五〇万人デモのなかで生まれたさまざまなグループ・諸個人の連合体である「民間人権陣線」と言われている。東京都の半分の面積で、人口七二〇万人の香港における一〇〇万人のデモには、いわゆる「民主派」だけではなく広範な市民層の参加があったと考えられる。そこには香港社会がかかえる矛盾とそれに対する大衆の不満が反映していることは確かであろう。香港行政府長官はこの時点では強硬姿勢を貫くのではないかとみられていた。
 六月十三日東京では、SNSなどによって「香港の自由と民主主義を守る緊急行動」が、沖縄の住民投票運動などを中心として取り組んだ元シールズのメンバーが呼びかけて在日香港代表部前で開かれた。連帯行動におけるスピーチでは「言論の自由を求める無抵抗な若者への暴力は許せない」「法を無視する暴力は沖縄と同じだ」「今日の香港は明日の日本。日本の機動隊もいつどうなるかもわからない。だからこそいま民意を示すべきだ」といったことがアピールされた。取材したレーバーネット日本の記者は、「一人ひとりの発言は、香港の事態が他人事ではなく、日本そして世界の『自由と民主主義』の危機として捉えていた」(「レーバーネット日本」(六月二十一日付)と報じた。
 わたしは、それぞれの発言者が、日頃安倍政権の悪政にたいする真剣な批判活動、沖縄における辺野古新基地建設反対運動などにおける献身的な努力をされていることを知っている。しかし、にもかかわらず「香港頑張れ!」のコールには強い違和感を禁じえなかった。この行動で連帯が呼びかけられている香港デモの「民主主義」や「自由」を検証してみよう。

「逃亡犯条例」改正反対運動がめざすもの

 「民間人権陣線」が、条例改定撤回、長官辞任を要求するなかで、行政府長官は、六月九日の大規模デモ(一〇三万人)をうけて、条例改正案の説明不足を謝罪し、審議の無期限延期を表明したが、翌日十六日の二〇〇万人デモに至って混乱を招いた責任を痛感し、「審議再開は困難、事実上廃案になる」と表明したが、抗議運動はその後も収まる気配はなく、二十一日には警察本部がデモ隊に包囲され、政府庁舎に乱入する混乱が生じた。
 デモ隊との衝突のなかで、催涙弾の使用など警察行動の評価をめぐって議論があり、その中で行政府側が、乱入破壊行動を「暴動行為」、デモ隊を「暴徒」と表現したことが火に油を注ぐ結果となった。
 七月一日、香港返還記念日における立法会突入、七月七日には、中国本土と香港を結ぶ高速鉄道終着駅、中国からの観光客も多い西九竜駅に向けたデモが二三万人と、デモ発生から一か月、規模は小さくなっているが収束の見通しはない。
 二〇一四年九月には「行政庁官選挙の制度変更」をめぐって抗議行動があった。「オキュパイ・セントラル」抗議運動(雨傘運動)と呼ばれた運動では、「民主派」と学生団体が三か所の幹線道路を占拠し、七九日間にわたって抗議運動を続けたが、警察による強制排除と中心的な活動家の逮捕によって挫折した。このとき高校生として運動に参加した周庭(アグネス‐チョウ)は、現在、大学生としてこの経験を振り返り、若者はこの挫折から無力感にとらわれ香港の社会運動は冬の時代に入ったという。今回の改正案が可決されれば、「透明性が高い法治や自由といった香港の核心的な価値がなくなる。自由な経済活動が保障されず、国際金融都市という特別な地位を失い、中国の一都市になる。そんな強烈な危機感が、若者や市民を再び団結させた」という。また来日して「民主派運動」のスポークスマンとしての役割を果たした周庭は、デモが過去最大規模に膨れ上がった理由を、本来中国寄りの経済界に反対論が広がったことを挙げている。彼女の中国不信は根強く、中国は自由を認めないと裁断する。現在は「一国一・五制度」に変質しており、改正案が可決されれば「一制度」になるとも。香港は中国の「民主化運動」の最前線で、中国本土の「民主活動家」との連携も考えているようだ。

香港基本法と「一国二制度」について

 欧米のメディアは、「逃亡犯条例」改正反対の抗議運動が、中国政府の「一国二制度」を揺るがしたとほくそえんでいる。国際金融センターとしての香港を、「中国特色社会主義」を実践する共産党の奮闘目標「二つの一〇〇年」の展望から切り離したいという国際金融資本主義の願望が示されている。四〇年間にわたる改革開放路線が達成した急速な経済成長にともなうさまざまな経済的政治的な矛盾の表出、その克服途上にある習近平指導部への揺さぶりとしてみることができる。
 一九九七年の香港返還にあたって、香港基本法は、英国の植民地支配のなごりであって、英米帝国主義の影響力を中国領土内で維持するために打ち込まれた楔のようなものだ。香港における司法制度・統治機構は、そうした植民地主義の遺物でもある。一九九〇年代の東アジアをめぐる国際関係のなかで、中国と西側帝国主義とのあいだの経済的軍事的力関係は、中国中央政府にたいし「香港基本法」以外の選択をゆるさなかった。
 香港を中国に返還はするが、中国領となった香港行政区を欧米帝国主義の影響の永続的な前哨基地として維持するための不断の策謀があり、それと中国政府のせめぎあいが続いてきた。
 中国共産党は、第一九回全国代表大会(二〇一七年十月)において、「一国二制度」と祖国統一の推進を堅持することを謳っている。「香港住民による香港管理」「高度の自治という方針を全面的かつ正確に貫徹し、憲法と基本法に厳格に則って事を運び、基本法の実施にかかわる制度・仕組みを十全化しなければならない。」
 その意味では、英国の植民地としての痕跡を根絶する展開プロセスの最新の例として、今回の「引き渡し条例改正」もあった。中国政府は、経済的政治的な方法を通じて香港の改革を進めてきた。
 一方で、香港立法会内の中国からの「独立運動」を率いる野党や運動体にたいし、米欧からの資金提供、政治的介入があるのは周知の事実である。

香港への「自由と民主主義」という名の介入

 ソ連崩壊後の世界の戦略的地域で、アメリカ帝国主義による政権転覆工作=「カラー革命」と称する反革命的介入がしばしば行なわれてきた。そこではワシントン寄りの政権をつくりだすためにエセ民主主義を標ぼうする非政府組織(NGO)が担ぎ出される。
 「民主的自由」は、新たなブルジョワ独裁体制をもたらすための信じがたい旗印だ。自らと一致しない政策を推進する政府を標的としたワシントンが支援する政権の不安定化の中心にNED(全米民主主義基金)という「人権」NGOが存在する。これは非営利団体と称しながら実際はアメリカ政府と密接に連携している。そのほかにも投資家ジョージ‐ソロスが資金提供するヒューマン・ウイツ・ウオッチ、フリーダムハウスなどが存在する。
 ソ連東欧圏などの社会主義体制が倒壊して生まれた膨大な国有資産を略奪し、ウォール街やヨーロッパのグローバル銀行、欧米多国籍企業の支配する自由市場に手渡すために、あからさまな軍事的対決に代わって米国が操る「人権」NGOが、ソ連崩壊後の新国際秩序の中で暗躍しているのだ。
 そうした攻撃は、建国一〇〇周年にあたる二〇四九年までに社会主義強国をめざす中国にたいしても例外ではない。
 民衆の抗議運動と中国政府との対立、「反中国」化の動きを先導する反対運動の中心的なリーダーや政党、組織、およびメディア事業は、NEDと結びついている。二〇一四年の雨傘運動の際には、運動の背後にNEDの存在があるとニューヨークタイムズは指摘している。わたしたちは、現在のベネズエラにもみられるような政権転覆工作が、今回の香港デモの中にもはっきりと存在することを見ておく必要がある。
 香港における「高度な自治」が定められた香港基本法における期限は、二〇四七年である。これが帝国主義に利用され、みせかけの「自由と民主主義」が喧伝されるとともに、そうした論調が実際には中国からの独立運動、反社会主義運動に転嫁される危険を、わたしたちはきびしく凝視しなければならない。香港における二〇〇万人デモはそのことをわれわれに突きつけている。

(『思想運動』1043号 2019年8月1日号)