状況 2019・労働  吉良 寛
中西経団連会長の「終身雇用慣行見直し」発言に見る冷徹な日本独占の労働政策
「日本型雇用」見直しの動向見据え企業横断的労働運動の構築を


 五月七日の日本経団連の定例記者会見で、中西宏明会長は「終身雇用を前提に企業運営、事業活動を考えることには限界がきている」「利益が上がらない事業で無理に雇用維持することは従業員にとっても不幸であり、今とは違うビジネスに挑戦することが重要」と述べた。直後の五月十三日、日本自動車工業会の豊田章男会長(トヨタ自動車社長)の「雇用を続ける企業などへのインセンティブがもう少し出てこないと、なかなか終身雇用を守っていくのは難しい局面に入っている」との発言とあわせて、『日経新聞』その他ブルジョワマスコミが「日本型雇用の終焉だ」とセンセーショナルに報じている。

日本型雇用とは?

 ここで日本型雇用と呼ばれているものは、なにか。
 職業生活の入口が新規学卒者の一括採用で、出口が定年退職(だから正確な意味で「終身雇用」ではありえない)。
 労働者としての技能形成は雇用後に雇用者(企業)によって社内でOJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング=職場で実務を経験させることで行なう職業教育)中心に行なわれる。職務内容、勤務地、労働時間に労働者が異議を唱えることは認められず(最高裁判例)、ほぼ無制約。賃金は、入社年次プラス査定された職務遂行能力に基づく職能給であって、しばしば「年功的」「横並び」と称されるものの、実際には賞与や昇給、さらには社内キャリア(配属先)で格差をつける差別処遇とセットだ。「横並び」の本質は、所属企業の経営層、管理職ポストへよじ登ろうとするすそ野の広い労働者間競争にほかならない。
 生産過程におけるこの日本型雇用を基盤として、この半世紀、独占は労働者(従業員というべきか)の個別企業への忠誠心と献身を確保しつつ企業間競争に邁進し、巨大な利潤を獲得してきた。日本のおおかたの企業内組合はそのような構造を是認し、否むしろそこに立脚して、資本の価値観と一体になって「生産では協力、分配では対立」とうそぶきつつ生きながらえてきた。
 この四半世紀、労働者がろくな「分配」を勝ち取ることもできず実質賃金を切り下げられてきたこと、一方で独占資本が繰り返し過去最高額の利潤をあげ、ため込んできたことは周知の事実である。
 日本型雇用の見直しとは、こうした採用、企業内人材育成、処遇、退出(雇用終了)のすべてにわたって見直すということにならざるを得ない。
 これほど旨みのある日本型雇用を、なぜ奴らは手放すのか? 本当に手放すのか?

グローバル競争に遅れた日本独占の危機意識

 日本独占のいま現在の危機意識を端的に示した経済同友会小林喜光代表幹事(当時)のインタビュー記事を引用しよう。
 「三〇年前で世界の企業の株価時価総額を比べると、トップ一〇入りした米国企業はエクソン・モービルなど二社ほど。NTTや大手銀行など日本企業が八割方を占めていた。中国は改革開放が始まったばかりで影も形もありませんでした」「これが今では、グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾンという『GAFA』と、アリババ、テンセントなど米中のネット系が上位を占め、モノづくりの企業はほとんどない。日本はトヨタ自動車が四十数位で、そこまで差がついた。企業の盛衰が反映する国のGDP(国内総生産)でも伸び悩む日本に対し、米中は倍々ゲームで増やしていったのです」「テクノロジーは、さらに悲惨です。かつて『ジャパン・アズ・ナンバーワン』などといい気になっているうちに、半導体、太陽電池、光ディスク、リチウムイオンバッテリーなど、最初は日本が手がけて高いシェアをとったものもいつの間にか中国や台湾、韓国などに席巻されている。もはや日本を引っ張る技術がない状態です」「内閣府の二〇一八年六月の調査でも七四・七%の国民が今に満足していると答えています。一八~二九歳では八三・二%ですよ。心地よい、ゆでガエル状態なんでしょう。(略)世界は激変して米中などの後塵を拝しているのに、自覚もできない。カエルはいずれ煮え上がるでしょう」(二〇一九年一月三十一日付『朝日新聞』)。
 日本独占はバブル崩壊後、「雇用ポートフォリオ」(一九九五年日経連「新時代の『日本的経営』」)と称して正社員の範囲を限定し非正規労働者を雇用労働者の四割にまで拡大させた。徹底的に人件費を圧縮し、労働者人民に危機を転嫁して自らの利潤の確保・拡大を強行してきた結果が、国内市場の縮小、グローバル競争での劣後、イノベーションの停滞だった。日本独占の危機意識はリアルで、深い。
 それは、トヨタの豊田章男による「組合、会社とも、生きるか死ぬかだ」という今春闘の労使協議会での恫喝とも軌を一にしている。

政府と独占が一体となった労働市場改革攻撃だ

 経過を丹念にたどっていくと、中西経団連会長の発言は唐突に出たものでないことが分かる。
 すでに昨年十月、中西会長は採用面接の解禁日などを定めた会員企業による新卒学生の採用ルール(指針)の廃止を発表していた。
 今年一月の経団連「経営労働政策特別委員会報告」では、「創造社会『SOCIETY5・0』を目指す中で、日本型雇用システムの見直しが迫られている」、「日本企業は(中略)従来の雇用システムと、ジョブ型の雇用システムを効果的に組み合わせていくなど、中長期的な観点に立って、そのあり方を検討する時機にきている」と(本文ではなくコラムで)提言している。ちなみに「ジョブ型雇用」(=「就職」)とは専門的なスキルを持ち職務や勤務場所、勤務時間が限定された働き方を指し、従来の日本型雇用すなわち「メンバーシップ型雇用」(=「就社」)の対概念とされている。
 さらに中西経団連は、埼玉大学学長、京都大学総長、明治大学学長などをメンバーとする「採用と大学教育の未来に関する産学協議会」を一月に立ち上げ、四月二十二日に公表された中間提言で、新卒一括採用に加え通年の「ジョブ型採用」拡大など採用の多様化を進めることで合意したことを明らかにしてきた。
 いっぽうで、安倍政権の経済財政諮問会議は四月の会合で「ジョブ型雇用時代の人的資本投資に向けて」を議題にあげ、規制改革推進会議では「ジョブ型正社員」の法整備や兼業・副業の推進を、未来投資会議では「中途採用の促進」などの労働市場改革を打ち出してきた。

成長戦略実行計画のおためごかし

 六月二十一日に閣議決定された「経済財政運営と改革の基本方針二〇一九」(いわゆる骨太方針)では新卒一括採用の見直し、中途採用・経験者採用の促進、メンバーシップ型からジョブ型の雇用形態への転換、労働移動の円滑化等の取り組みが明記された。同日の「成長戦略実行計画」でも「組織の中に閉じ込められ、固定されている人を解放して」「個人が組織に縛られ過ぎず、自由に個性を発揮しながら、付加価値の高い仕事ができる、新たな価値創造社会を実現する」などとおためごかしを述べつつ「柔軟で多様な働き方の拡大」「兼業・副業の拡大」が打ち出されている。
 ちなみに、「出口」の雇用終了に関しては、骨太方針は七〇歳までの就業機会確保を含む「全世代型社会保障への改革」に紙幅を割いたほか、周知の通り「解雇の金銭解決制度」ありきで厚労省の論点検討会が進められている。日本労働弁護団は三月に反対の緊急声明を出したが、厚労省は「ジョブ型正社員」の拡大とセットで強行してくる可能性が高い。
 独占とその政治的代理人である政府は一体となって日本型雇用の見直しを強力に推進しようとしている。奴らは本気なのだ。
 この文脈から見ると、自工会会長としての豊田章男の発言は、技能の蓄積、熟練が必要でにわかに日本型雇用から脱することのできない自動車産業の経営を代弁して、「当面は終身雇用慣行を継続する代わりにインセンティブ(=税制優遇措置)を拡大しろ」というアピールだったことが分かる。トヨタ資本は今春闘でいわゆる横並び賃金の見直しを労組に呑ませたが、政府からもまだまだ取れるものは取ろうというわけだ。その貪欲さには驚き呆れるほかはない。

ジョブ型労働者、非正規労働者と連携する運動を

 いま政府・独占が切実に求めているのは、AI(人工知能)や5G(第五世代の情報通信技術)に対応でき、新たなイノベーションを創出できる、国籍を問わない即戦力のハイスペック人材である。長期雇用を期待しないハイスペック人材にぽーんと高給を出すためには、日本型雇用はたしかに間尺に合わないように見える。
 しかし、だからといって、事態の進行は一部にとどまるだろう、と楽観することは許されない。
 われわれは、中西発言を含む一連の「日本型雇用」見直しの動向は、一九九五年の「新時代の『日本的経営』」と同様、独占資本の労働政策のひとつのターニングポイントをなすものと見る。ちょうどそれは、「新時代の『日本的経営』」が、その一〇年前の労基法改悪、男女雇用機会均等法・労働者派遣法の制定等によって可能となり水面下で進行し始めていた非正規雇用の拡大を正当化し公然化する旗幟となったのと同様だ。
 正社員採用に占める中途採用の実態を見ると、五千人以上の大企業においても中途採用はすでに約四割に達し、中小では六割を越えている(二〇一七年度実績。リクルートワークス研究所)。いまは四月採用者と中途採用者の処遇差は少ないだろうが、遠からず、すべての正社員を幹部候補生として育成するのではなく採用当初から絞り込む(限定正社員は別コース!)やり方が定番になっていくだろう。それは、「新時代の『日本的経営』」が言うところの「長期蓄積能力活用型グループ」の二分解に行き着くかもしれない。
 日本郵便で五年前に導入された一般職は、有期雇用から無期雇用に転換(選別)した労働者からの登用が主体の職位だが、従来の正社員である地域基幹職と比較して賃金水準も定期昇給幅も歴然と格差がある。正社員の二層化がすでに進行しているのだ。こうした現実を直視するとき、われわれは、単に「終身雇用を守れ」とする立場にくみすることはできない。そもそも、日本型雇用の傘の下にいる労働者自体がいまや少数であることを忘れてはならない。ましてその労働者の心性が経営層、管理職層への上昇志向に絡め取られているとすれば、そのままのかれら彼女らの心性に依拠する運動に展望はない。
 非正規雇用労働者の大半は、非熟練のジョブ型労働者だ。その多くは地域最賃すれすれの低賃金と不安定雇用にあえいでいる。まっさきに長期の安定した雇用と労働条件の改善を必要としているのは、かれら彼女らだ。既存の企業別労働組合に籍をおく活動家がその現場で正規・非正規労働者を組織し、職場・生産点での労働組合の規制力の強化を仲間とともに追求するのは当然のことだが、今後いっそう増えるであろうジョブ型正社員層こそ、われわれが依拠・連携すべき層として存在している。
 人・金・組織力・構想力等を出し合い、企業、経営を越えた産業別・職種別労働運動構築の端緒を作り出そう。

(『思想運動』1042号 2019年7月1日)