HOWSメンバーが革命六〇周年のキューバを訪問
小国でも貧しくても自信をもって米国に立ち向かうキューバ

秘訣は愛と国際連帯と楽観主義では?


 HOWSのメンバーの田沼久男、中村泰子、村上理恵子の三氏がメーデー前後にキューバを訪問し、メーデー国際ブリガーダや外国軍事基地撤去を目ざす国際平和セミナーなどの催しに参加した。折しもベネズエラでクーデター未遂事件が起きるなど、中南米情勢が緊迫する中での訪問であった。訪問前半のルポを中村氏、後半のルポを村上氏が執筆した。【編集部】

 革命六〇周年のキューバ行きの話をHOWSの仲間から聞き、一八日間の長旅だが最後のチャンスと思い、即、行くと決めた。日本語通訳なしという点が一番心配だったが、行ってみての感想は「それなりに何とかなるものだ」といったところか。英語またはスペイン語+英語通訳という中で、少しでもわかる単語を拾おうと一生懸命に聞き、伝えたい時は必死に話し、わからないことだらけでも、全身でつかんだ感触が貴重な体験になった。
 メーデー国際ブリガーダ(ブリガーダはスペイン語で旅団を意味する)は、三〇数か国から四〇〇名近くの参加だった(定員二二〇名のはずだったが)。日程表に示したように、ボランティアワークとキューバ連帯を目的とし、今回は革命六〇周年なので、革命の英雄たちに敬意を表するプログラムになっている。
 しかし、予定されていた目玉の行事のいくつがが中止になった。参加者が多すぎて収容できないなどの支障があったのかもしれない。たとえば、キューバ革命の戦士たちとの懇談、キューバ中央労働組合連合(CTC)の代表者たちとの意見交換、労働組合の代表機関の訪問はキャンセルとなった。その分ゆったりスケジュールになり、自分にとっては、息抜きができたともいえる。
 一方、文化交流等は何度も行なわれた。地域住民組織である革命防衛委員会(CDR)のみなさんやその子どもたちの歌や踊りを交えた交流である。わたしはいっしょに踊ったりして言葉の壁を超え楽しんだ。CDRは当初、反革命の取り締まりのための隣組組織だったそうだが、現在は文化的活動を重視しているようだ。子どもたちのパフォーマンスは素晴らしかった。
 プログラムについて主催者側が参加者から意見を聞くミーティングが四月二十七日と三十日にあった。もっとキューバの政治や制度の現状と問題点を知りたい、各種産業の現場を見たい、中止が多いのは残念、などの意見も出た。わたしなりの理解では、今回、主催者が伝えたかったのは、キューバは小国で貧しいけれど愛と連帯があるので心は豊かで強い、ということだったのではないかと思った。だから、巨大な米帝国主義に対して堂々と対抗できるのだと思う。
 全日程の主な訪問先は、地図に示したように、ハバナ近隣のアルテミサ州、中部のビジャ・クララ州、サンクティ・エスピリトゥス州、シエゴ・デ・アビラ州、東部のサンティアゴ・デ・クーバ州、グアンタナモ州の大きく分けて三か所である。
 すべてバスで回ったので、移動時間が多かった。車中は主催側担当者により、通過する場所の説明、キューバ革命のこと、地理、歴史、文化、制度などの解説、参加者が希望するテーマでの質疑応答や、参加者からの発言、DVD上映などが行なわれた。印象的だったのは、テーマが医療支援になったときのブラジルの女性の発言だ。彼女は立ちあがって前に行き、座席の皆に向かって訴えた。ボルソナロ大統領の悪意ある政策により、キューバからの医師派遣が中止になり、これまでキューバ医療団によって支えられてきた貧困な地域、先住民地区などの人びとが医療を受けられなくなっているという。
 キューバ医療団が派遣先の人びとにとって真に必要とされていることを、生の声として聞いた。
 四月三十日の午前中、キューバの新憲法についての講演会があった。質疑応答の場面で、ベネズエラ連帯支援についての質問に答える形で、講演者のミゲル氏は、当日未明に起きたベネズエラのグアイドによるクーデター未遂事件の速報を伝えた。すると会場から大きな拍手、歓声が湧きあがり、わたしも嬉しくなった。
 翌日のメーデーに向け、筆と墨汁、シーツを持ってきていた村上さんが「UNBLOCK CUBA」(インターネット上でのキーワードになっている)の筆文字横断幕を急遽、宿舎で書きあげてくれた。これがとても目立って注目を集め、メーデー以後も行動のたびに掲げたり、壁に貼りつけたりと大いに役立った。
 メーデー当日は、朝二時起床、三時出発、バスの中で配られたメーデーTシャツを着用し、五時すぎに革命広場に到着。入場のために手荷持検査、通行証確認などがあった。七時に開始となり、冒頭、大スクリーンにフィデル‐カストロの演説シーンが上映された。ラウル‐カストロ元首相とミゲル‐ディアス=カネル大統領が、高所のスタンドから見守る中、パレードは一時間半続いた。次々と繰り出す大デモ隊の行進は圧巻だった。わたしたち外国人招待者は残念ながらスタンド席内に限られ、パレードには加われなかった。最後はスペイン語インターナショナルの大合唱となり、感動的だった。
 わたしはこの日のために用意してきた自作の等身大ゼッケンを着け、パレードの音楽に合わせて、スタンドの椅子の上で足踏みをしながら観覧した。このゼッケンも好評で、その後の行動でも身に着けた。
 五月二日はキューバ国際連帯集会があり、ベネズエラ、南アフリカ、フランス、ブラジル、ニカラグア、プエルトリコ、シリア、米国等々の党や労組からの報告、連帯発言があった。ベネズエラからは四月三十日クーデター未遂も含めての報告があり、その中で「楽天的」という言葉が何度か使われたことに興味をもった。これぞラテンの心意気と思えたからだ。
 この集会を最後にわたしたちはブリガーダから離れ、グアンタナモ行きのバスに移動した。 【中村泰子】

(『思想運動』1041号 2019年6月1日号)