HOWSメンバーが革命六〇周年のキューバを訪問
グアンタナモから沖縄から、そして全世界から米軍基地撤去を!
外国軍事基地撤去を目ざす国際セミナーに参加
メンバー三人は、五月一日の「キューバ革命六○周年メーデー」に参加した次の日の二日、五月四日~六日に開催される「外国軍事基地撤去を目指す第六回国際平和セミナー」(二年ごとに開催)に参加するため、グアンタナモに向かった(「日本キューバ友好協会」から二人が参加し、日本から計五人の参加となった)。
グアンタナモはキューバ最東部の州であり、一〇〇年以上という世界でもっとも古い米軍軍事基地があるところだ。
そこには今も、アフガニスタンやイラクの「テロ容疑者」らが収容されている。
この第六回平和セミナーは、「世界平和評議会・諸国民の平和と主権のためのキューバ運動」(MOVPAZ)とキューバ諸国民友好協会(ICAP)が主催し、その目的を「われわれの地域諸国及び全世界から外国基地・施設の撤去を要求し、さらにアメリカ帝国主義がNATO同盟国及びイスラエルと共に推し進め、世界を新たな国際動乱の前段に置く軍事化・軍拡競争について、その中止を要求する」としている(セミナー支援として、アフリカ・アジア・ラテンアメリカ人民連帯機構・キング牧師センターが参加)
第五回セミナーには、沖縄・高江の安次嶺現逹さんらが参加している。沖縄の米軍基地については、その維持・強化に日本政府が全面的に加担しているが、グアンタナモは、キューバ政府が世界の平和を求める人びとと連携し全力を上げて反対している。何と大きな違いか。
二日午後、世界から集った「闘う仲間」たちは、ハバナから二台のバスに乗り込み、グアンタナモに向けて出発した。キューバ以外の三五か国・約九○人の参加である。
ブラジル・ボツワナ・カナダ・チリ・コロンビア・コンゴ・ドミニカ・エジプト・アメリカ合衆国・スペイン・フィリピン・フランス・ギリシャ・ガイアナ・ホンジュラス・イラン・イタリア・イギリス・コモロ諸島・ジャマイカ・日本・ニカラグア・ポルトガル・プエルトリコ・パレスチナ・パラグアイ・ペルー・サラワラアラブ民主共和国・ドミニカ共和国・ロシア・シリア・タンザニア・ベネズエラ・ザンビアである。
何と、フィリピンからの参加したカール‐パリスさんは、二〇一七年マニラで開催された「第八回キューバ連帯アジア太平洋地域会議」開催を中心的に担った、そしてわたしたちが毎年開催する「国際婦人デー集会」にメッセージを寄せてくださるアントニオ‐パリス氏のお孫さんだった。
かれは、キューバで医学を学んでいるのだという。
グアンタナモに向かうバスは、高速道路を快適に走る。なにしろ、ハバナから九○五キロ離れている。ゆっくり走る馬車やガタゴト走るトラックを何台も追い越して、ひたすら走る。途中、サンタ・クララにあるゲバラ霊廟に立ち寄り献花し、その夜はビジャ・クララのホテルで宿泊だ。おしゃれなホテルで夕食もおいしく、珍しくアイロンもある。深刻な物不足に喘ぐキューバが、観光に力を入れている事がひしひしと伝わってきた。
三日の朝は七時に出発。グアンタナモまで、まだ丸一日かかる。飛行機だと一時間ちょっとだが、故障やガソリン不足などで飛ばないこともあるので、バスが確実とのことだ。
しかし、一日乗っていても飽きない。窓の外は、牛がのんびりと草を喰い、ときどきキューバの特徴である大椰子の木が立ち並び、空にはぽっかりと雲が浮かぶ。道路脇には看板など一枚もなく、バスの窓からはるか遠くまで見渡せることが何と贅沢なことか。
ときどき町を通り抜け、人びとがテラスでおしゃべりをしたり夕涼みをしたりしているのを見かけることも。飽きるわけがない。
びっくりしたことには、わたしたちが乗ったバスの前を警察のバイクが先導しているのである。グアンタナモに着いても、何処に移動するにも先導バイクが併走する。「バスの乗客は観光客ではなく、キューバ人民と連帯し闘っている世界の仲間」たちであるためだという。それをキューバの人は知っているというのだ。身が引き締まる思いだ。
夜遅くグアンタナモに到着。
四日、第六回セミナーオープニング会場は、ホテル近くのグアンタナモ医科大学だ。昨年にICAP代表となったゴンザレス氏(「キューバ5」の一人)も参加。全体会では「諸国民の平和と主権を求めるキューバ運動代表」のシルビオ‐プラテロ‐イロラ氏が歓迎挨拶を行ない、世界平和評議会代表のアリア‐ド‐ソコロ‐ゴメス氏が世界の米軍軍事基地の状況に関する講演を行なった。英語とスペイン語での報告のため、わたしは単語の一言二言しかわからない。それでも平和を求める雰囲気は、充分に伝わってきた。
五日、午前はサンティアゴ・デ・クーバの「サンタ・イフィヘニア墓地」を訪問。この墓地には、スペインの植民地統治と闘ったホセ‐マルティの墓や、モンカダ襲撃で亡くなった革命軍兵士の墓、そして二○一六年十一月に亡くなったフィデル‐カストロの墓がある。セミナー参加者一人一人がカストロの墓にバラの花を献花した。
午後、いよいよグアンタナモ基地があるカイマネラ市へ出発。基地と隣接し湾が見えるホテルで「あの辺に基地がある」と言われて目をこすってみるが、けっこう離れていて良くは見えない。夕方、カイマネラ市の住民たち総出で、歌・ダンス・楽器の演奏での歓迎だ。以前、HOWS講座で「漁業を営んでいる住民たちが被害を被っている」と聞いたが、直接話を聞くことはできなかった。
六日、九時から二日目の分科会開始。田沼さんが労働者の学校であるHOWSでは、キューバやベネズエラに関する講座を開きアメリカの経済制裁反対を訴え、沖縄・辺野古の闘いや安倍政権反対・天皇制反対の活動を行なっていることなどを英語で報告した。
その内容が参加者に伝わったようで「労働者の学習は重要なことだ」と声を掛けられたり、ハバナのテレビ局からインタビューを受けたりした。
この日の午後は本会議の続きと最終宣言の採択、そして地元の子どもたちの歌と踊りで大いに盛り上がった。そしてその夜、グアンタナモの中心地「2・24広場」で最終宣言セレモニーが行なわれ、キューバの国歌が高らかに演奏された。誇れる国歌があることを、つくづくうらやましく思った。
分科会で報告したのは一〇か国ほどだったが、全体会も含めて紙でのレポートが出ない。親しくなった英語通訳者が、各報告者のレポート用紙を持っていたので「是非譲ってください」というと「これはぼくの貴重な資料だからダメだ」と断られてしまった。なんと、かれはハバナ大学の副学長だった。
七日、セミナーも終了しハバナに帰る途中、ベネズエラから参加していた若者にインタビューを試みた。セミナーが始まる直前の四月三十日、「暫定大統領」を自称するグアイドがクーデター未遂事件を起こしていた。かれらは「ベネズエラの人民はアメリカの攻撃に負けない。大丈夫です」と、自信に溢れた様子で語ってくれた。
「メーデー国際ブリガーダ」と合わせて長期間のキューバ訪問となったが、アメリカの覇権主義に抗して、キューバを核としたラテンアメリカの人びとがねばり強く闘っていることを強く感じた収穫の多い旅だった。 【村上理恵子】
(『思想運動』1041号 2019年6月1日号)
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