勝つ方法はあきらめないこと! 辺野古新基地建設反対現地闘争に参加して
 四月十日から十五日まで、わが会のメンバー三名が辺野古ゲート前座り込み行動とカヌーに乗っての海上抗議行動等に参加した。以下はそのうちの二名の海と陸での行動の報告である。

4月10日~ 14日 やる気さえあればできる!
カヌー隊の仲間の言葉を信じて
     大館まゆみ(埼玉在住)
             
二か月ぶりの辺野古

 二〇一九年四月十日から十四日まで辺野古新基地建設反対の座り込みに参加した。カヌーでの抗議行動は三日間。二か月ぶりだが「K8護岸」が一一一メートルまで伸びていて愕然とした。この周辺にはサンゴ群があり、防衛局は移植せずに護岸の工事を進めている。K8護岸の造成で大浦湾の海流も変化し、海全体の環境が悪化するのは目に見えている。
 土砂を投入している辺野古側埋め立て区域「②―1」に続き、「②―2」への投入も強行されている。「②」は、ジュゴンの大好物が繁る、辺野古でもっとも豊かな海草藻場となっていた。ここは毎夜ジュゴンが食事にやって来たところだ。防衛局が海底ボーリング調査を始めた二〇一四年八月、本来なら浅瀬で食事をするジュゴンだが、その食み跡が大浦湾の深場で発見された。あごの大きさで若いジュゴンとわかったが「こんな深い所で……」と牧志治さん(写真家・抗議船船長)は驚いていた。
 建設予定地の東側「嘉陽海域」に二〇〇三年から住みついていた雄のジュゴンも若いジュゴンも、三月に今帰仁の海岸で死骸で発見された雌のジュゴンも、沖縄のこの海でしか住めなかったのに追い出されてしまったのだ。

四月十一日(木)朝早く集合。晴天・海も穏やか。抗議船二隻とカヌー一一艇が辺野古浜から繰り出す。午前中は、K9護岸と埋め立て「②ー1」の二班に別れ行動する。「②ー1」で「ゆっくり隊」の三艇は、フロート越えの練習をする。直径八〇センチくらいのバランスボール状のフロートに跨り、三〇キロのカヌーを引き上げフロートの内側に移すのだが、重くてぜんぜん持ち上がらなかった。ひとりでダメなら二人の力でと、補助してもらう方法で練習した。二人の先輩の助言は的確で、フロート内にカヌーを引き入れることに成功した。
 わたしがカヌーに乗り込むと同時に海上保安庁(海保)のゴムボート(GB)がすっ飛んで来た。「練習中だから」と言うと後ろに引いた。K9護岸ではもう一班が海保の追手から逃げて、工事現場に向かう闘いを繰りひろげている。こちら側の三艇は海保の力を分散させる作戦のための要員だ。陸でも海でも座り込みは数が力なのだ。
 午後一時、二回目の抗議行動、辺野古の海で、抗議船に乗り込み、カヌーを牽引し、K8護岸へ。午前中の練習が効を奏してフロートを越えて、工事現場へ突進、GBがわたしのカヌー目がけて進んで来て激突寸前で止まり、海保一人が海に飛び込むと同時にわたしのカヌーに取り付いた。身動きができない。海保に誘導されGBに乗り移る。
 捕まった仲間三人と辺野古浜へ向かう。仲間の二人は海保と知人のように会話し、若者たちがじゃれ合っている風にも見えた。わたしは初めての体験ばかりで目を見開いて観察するだけだった。三~四〇分かけて、ゆっくりとGBは進んでいった。

四月十二日(金) 安和から土砂運搬船が、K9護岸に入港することが予測され、いつもより一時間早く集合。辺野古浜からカヌー一三艇は抗議船へ牽引乗船、K9護岸オイルフェンス開口部へ行く。沖合には、運搬船五隻が並んで停泊している。オイルフェンスにカヌー一〇艇をロープで繋ぐ。さらに綱を何十本何百本も使ってカヌーをフェンスに結びつける。わたしを含む三艇は後方で待機する。
 「何がどうなるのか」なりゆきを見つめているわたしの目の前に、海がめがプカリとかめ顔をつき出した。七〇センチほどの小型で、色は薄茶で黄っぽい。清い海水に日ざしが美しい。海がめはゆっくりカヌーにそって泳ぎ再び顔を出し口をパフパフさせた。産まれた砂浜を恋しがっているのだろうか。会えた喜びと裏腹に胸がしめつけられる。
 「大型船が入港するのでカヌーと抗議船は退去しろ!」と海保の甲高い声が一段とうるさくなった。指示があり、わたしは連結したカヌーに乗り換えた。海保のカヌーのごぼう抜きが始まった。冷たい海に海保は潜りロープや綱を一本ずつ解く作業に取りかかる。その時に海保に話かけた。「寒いでしょう」。「今日は冷えます」。「手が荒れてますね」。「毎日海に入ってますから」。「ゆっくりゆっくりやってくださいね」。カヌーは一艇また一艇と解かれていったが、海保が開口部を開くまで一時間以上が費やされた。

海保に問う、誰の ため海を殺すのか

 雨模様となり風も強く波が荒れてきた。ごぼう抜きされ海に漂うカヌーと海保は寒さもひどいのでマンツーマンで会話することもある。かれは沖縄人で海が好きで海保となったが、まだ大浦湾に潜ってないという。わたしをお姉さんと呼ぶ、きのうの海保はわたしをお母さんと呼んだ。さっき会った海がめの話をしてみる。海がめは自分のうまれた砂浜で産卵する。いま辺野古の海にたくさんの海がめが来ているが、砂浜が埋められ護岸で阻まれ産卵できず死んでしまう等々を、海保に話した。大浦湾の埋め立て予定地は軟弱地盤で基地を造ったところで地盤沈下で使いものにならない。国家権力のエゴのために、この大浦湾の生き物たちを殺してよいわけはない。海の好きなかれに、自分の娘や息子に美ら海をこのままの姿で残したいねと話すと、表情やしぐさから気持ちが通じ合えたと感じた。
 権力に使われている海保や陸や海での民間の警備員やダンプの土砂運搬の運転者たちと接して、以前に観た映画の一場面を思い出した。エイゼンシュテインの作品だったか、政府軍の兵士に同じ農民出身の人民兵士が「誰のための社会にするのか」と問い。「いっしょに自分たちの社会を築こう」と話す場面だ。戦争を必要とする権力の側は、中国や朝鮮の「脅威」をあおり基地を建設するが、戦争で泣くのは権力に支配された基地周辺住民やわたしたち人民だ。

四月十三日(土)朝早く集合。辺野古浜からカヌー一二艇、抗議船三隻がK8護岸へ。「K8護岸」では汚濁防止膜をクレーンでつり上げる造成作業をやっていた。フェンスを越え工事現場に向かうが海保に捕まりGBに移る。波が高く雨になる。仲間のひとりが、「きのうの悪天候下での拘束は二時間ほど続き、われわれにとっても海保自身にとっても命に関わることだ」と抗議した。厳しい口調だった。GBは速度を増しいつもより早く辺野古浜へ帰る。
 防衛省前抗議集会での船長さんの言葉「誰でもカヌーに乗れます。やる気さえあれば」がわたしの海の座り込みの原点だ。年齢じゃない、体力じゃない、毎土曜日、「ゆっくり隊」に参加する夫婦がいる。「違法工事をやめて」のプラカードをかかげてフェンス沿いで抗議するひたむきな姿に感動する。一度辺野古の海に浮かんでみると感じることがいっぱいある。まずカヌーに乗ってみよう。信頼のおけるカヌーの仲間が待っている。

四月十四日(日)辺野古カヌー教室・無料に参加するが、悪天候のため中止。座り込みに行くたびに腕をみがく決意。

(『思想運動』1040号 2019年5月1日号)