勝つ方法はあきらめないこと! 辺野古新基地建設反対現地闘争に参加して
 四月十日から十五日まで、わが会のメンバー三名が辺野古ゲート前座り込み行動とカヌーに乗っての海上抗議行動等に参加した。以下はそのうちの二名の海と陸での行動の報告である。

4月10日~ 13日 女性・高齢者が抗議行動に多数参加
沖縄の非暴力・不服従の歴史を思う
         古賀 圭(東京在住)
             
 九日夜沖縄着、十日から行動した。朝八時半受け付け九時出発の闘争現地行きバスに乗るために、八時一五分に県庁前に着いた。案内係の女性、比嘉多美さんから乗車整理券を受け取る。県庁前で一七人、 途中停留所で女性八人が乗ったのでお客は二五人になり、バスツァーのようなにぎやかさになった。比嘉さんは「辺野古で使うセメントは、安倍首相のおひざ元山口県宇部市から船で運ぶ。宇部セメントでは沖縄県民が反発するので、ミキサー車は琉球セメントと書きかえている」と話した。比嘉さんは毎日一回必ず琉球セメントに抗議の電話を続けていると言う。はじめは強い言葉だったが、電話口の相手が息子のような年齢の社員なので昏々と説得する口調になり、最近はお母さんと呼ばれている。そのやり取りや、選挙の状況を、おもしろおかしく話し、歌も歌って盛りあげ、同乗する初対面の人びとの気持ちをほぐしてマイクを乗客にまわした。自己紹介で千葉、東京、茨城、愛知など全国から来ているのが分かった。
 今日の抗議バスはまず安和港へ行く予定だったが、天気が悪く海が荒れて船が港に入れないので、安和行動は中止の連絡があり、バスは辺野古に行くことになった。
 道路沿いのテントに荷物を下ろしてすぐ一〇〇~二〇〇メートル先のゲート前にいく。
 ゲートではおおよそ九時、一二時、三時に土砂を積んだ大型ダンプトラックが入る。ダンプが入る時間の二〇分前くらいに、ネットの衝立をずらして道を開く。民間警備会社のガードマンが、開いたゲートの前にずらりと並んで抗議者が中に入らないよう道を塞ぐ。現地の人や経験の多い人がすばやく折りたたみ椅子をガードマンの前に三〇~四〇脚二列に並べ、抗議者は次々に座る。わたしも遅れずに座った。

高里鈴代さんの訴え

 水曜日のリーダーとして,この日は高里鈴代さんが来ていた。椅子の前で初めての参加者、遠方からの参加者が挨拶、地元の「エンターテイナー」の得意な歌や実に面白い替え歌を力いっぱい歌うのを楽しんでいると、二〇~三〇台の大型ダンプの行列が見えてきた。
 「さぁ、来ましたね。座り込みに慣れていない人はいますか。決して無理しないでくださいね。自分で歩いてもいいんですよ、道路の向こうで見ていてもいいです、それも抗議です。ケガをしないように。救急隊もいます、心配いりません」と高里さんは抗議活動の心構えをいう。県警のリーダーは「ゲート前のみなさん、座り込みは道路交通法違反です。退去警告に従わない場合は強制撤去します」とハンドマイクで言い始める。
 抗議者から「県警は憲法違反を取り締まれ」「違法工事をやめろ」「土砂を投入するな」などの声があがる。高里さんもマイクで、なぜわれわれは抗議活動をするのかを、沖縄の歴史もはさみながら話す。
 民意を無視した政府行政の政策をただす民主主義的権利行使に対し、県警がごぼう抜きをする非道をひるまず訴え、抗議者を援護し続けた。

ゲート前の攻防

 若い県警は一人一人に丁寧に「道路封鎖をやめて歩いてくれませんか」と声をかける。
 わたしは「いやです」と答えたが、やはり緊張したのか、一回目はどのように持っていかれたのか覚えていない。椅子ごと運ばれている人が見えたので二回目は「椅子ごとお願いします」と言い、そのとおりになった。十数分でごぼう抜きは終わり、ゲート左右に集められ、県警は抗議者が飛び出さないようにまわりを固める。入口を広げたゲートに数珠つなぎのようなダンプが、三〇分足らずの間に一〇〇台近くゲート内に入った。
 ミキサー車はどれも真新しく塗り替えられ、これ見よがしにハデに「琉球セメント」と書かれていた。寄せ集められた抗議者はダンプに抗議し、リーダーは「過積載トラックだ! 県警は違反トラックを取り締まれ!」と違反トラックもチェックする。
 ダンプカーの列が途切れるととたんに歩行道路の隅に集められていた抗議者が動きだし、高里さんや現地の人たちも「道を開けろ」「歩行道路だぞ」と叫ぶ。ガードマンが二十数人横隊してまたゲート前を塞ぐ。その前を抗議者たちはプラカードを掲げ、リーダーの掛け声に合わせて抗議の声を上げながら、ゲート前を行ったり来たりする。一回目、わたしは道路の反対側から見ていたが、二回目から歩行者になった。県警は道路側に並んでいるので、ガードマンと県警に挟まれた形だ。
 また十数分すると、今度は土砂や建材を下したダンプがゲート内から出てくる。往復する抗議者を県警は左右に寄せようと「危ないので早く渡ってください」と言う。「危ないのは基地だ」「押すな」「歩行者が優先だ、間違えるな」と応酬する。しかしそれまでだ。ゲートが開かれると、数珠つなぎのダンプが延々とでてゆく。砂埃もひどい。「道路を汚すな、タイヤを洗ってこい、海も空気も汚すな」の合唱に、道路清掃車が何回も道路に水を撒いているのがご愛嬌かな。しかしこの日はまだ涼しい。暑くなったら文字通り焼け石に水である。とはいえ県警は乱暴ではない。抗議行動を一定尊重する様子がある。当たり前だが、権力が県民投票の結果を無視できないものがある。民意が後押しをしている。いまならだれでも、超高齢者でも参加できる。沖縄へ行こう。

米兵の女性殺害事件

 十一日は抗議船「平和丸」に乗り、カヌー隊の闘いを間近に見た。カヌー隊はフロートに囲まれた立ち入り禁止区域に入ろうとし、海保のエンジン付きゴムボートはそれを阻む。しかし、カヌー隊と海保は闘い合うが、普通の言葉で語りあう。毎日顔を合わせるから、「敵同士」とは思えない感情があるようだ。十二日は辺野古のリーダーは山城博治さんだった。ダンプ抗議後、休憩テントのなか各地からの情報交換があり、山城さんは歌も歌う。
 帰る日の十三日、沖縄中頭郡市北ち ゃ谷た ん町で、米兵による女性殺人事件があったことを後で知った。北谷町は名護から那覇へ向かう途中にある。わたしは事件当日の町をバスで通っていたのだ。女性は職場で明るく、飲酒、喫煙もせず、朝五時に起きてマラソンをして、小学校低学年の子どもを学校に送り出して出勤するシングルマザーだったという。
 基地は何としても撤去しなければならない。

(『思想運動』1040号 2019年5月1日号)