しかし、それでは十分ではない――『思想運動』二月号合評会を終えて
すでに読者諸氏もご存じのように、本年一月から本紙はこれまでの隔週発行形態から月刊紙へと移行した。日本の左翼にいよいよ顕著な全体的後退の局所的な現れ、忌憚なくいえばそれはそういう言い方もできる。そのような時代に、わたしたちは、「どのように『真実』を『書く』のか」。二月号で井野茂雄が提起した問いである。
「われわれ労働者の闘いのなかで『書く』ということの大切さに注意を喚起し、意識的に、組織的に、継続的に取り組む」その試みとして、ことし一月から、月に一度、『思想運動』の執筆者と読者と企画者(編集者)による討論がはじめられている。去る二月十八日には二月号の合評が本郷文化フォーラムで行なわれた。これから述べるのは、その日の議論を持ち帰り覆考整理した筆者の考えである。
当日は討論に先立ち二月号の感想を伊藤龍哉が述べ、つづけて二月号〈国際〉面のベネズエラ情勢を、最新の情報を交えつつ田沼久男が分析した。
わたしの発言は、参加者の眼を「具体的なもの」へ向けたかった。二月号に読まれる「具体的なもの」とは何か。
キューバの新憲法制定へ向けた準備が明らかにする、あの全国民的な討議が「具体的なもの」のひとつの姿である。
権利はわがもの、かれらは自身を顧みてそういうことができるだろう。そこで発揮された「党の役割、社会と国家の指導勢力としての任務」を、沖江和博が簡潔に跡づけていることも見落とされてはならない。キューバ革命六〇年間の溌剌とした「若さ」を、党と国家のあるべき姿を模索するキューバの具体的取り組みを通して、沖江は読者に手渡したかったのではないだろうか。
田沼の報告は誰がベネズエラに緊張を持ちこんでいるかを暴露する説得的なものであった。たとえば三田博の指摘した、グアイド議長の暫定大統領就任宣言と米国の密接な連携の、その内実を補完すべく、田沼は、二月一日に日本記者クラブでなされたベネズエラ大使の報告を援用し、あらまし次のように述べた。グアイドは暫定大統領就任の宣言をするしかなかった 。グアイドに「宣言」を強行させたのは米国であり、ここではペンス副大統領の存在を挙げる必要がある。ペンスはグアイドに「宣言」と引き換えに米国の援助を約束したが、それは裏を返せば「宣言」をしなければグアイドの政治生命は絶たれるという圧力であった。
「ベネズエラ問題」を煽動している日本のメディアの責任も重い。とりわけマス・コミの報道に追随している『赤旗』は、あなたたちは共産主義を名乗るに値するのかという、ベネズエラ大使、キューバ大使からの批判を真摯に受け止めるべきである。
それにしても「ベネズエラ問題」に類する思想状況はわが国に蔓延している。広野省三筆「商業紙新年号にみる資本の状況認識」を通読した読者は、わたしの慨嘆に首肯されるはずだ。学界の動向もこれと対応する。百姓一揆観は、一九七〇年代を境にして、「領主と農民の関係は階級対立から、仁政イデオロギーに支えられた持ちつ持たれつの関係としてとらえる見方が主流となった」。(渥美博「仁政イデオロギーを超える何かへ」)仁政イデオロギーの最たる現象は天皇制である。山下勇男の連載「象徴天皇制を撃つ」の意義は、否定しようのない事実を論争的に対置することで、「制度としての天皇」の非人間的な歴史を帳の奥から引きずり出している点に認められる。
ではこれら事実を暴き出すことで問題は解決されるか。ここにわたしたちの「困難」が存在する。ここでいう「困難」とは、天皇制やベネズエラ情勢をめぐり執筆する際に特有のものではない。粘り強く事実を差し出すことは前提に、しかし、それでは十分ではない。
藤原晃の「活動することで真実と信頼は広がる」は、そのような「困難」を乗り越えうる貴重な記録である。そこでは、大磯の「不味い給食」を取りまく町内の現状況が見渡され、自分たちの組織(大磯の給食を考える会)の力量が確認され、そのうえで、誰に、どのような手段で真実を広めるかが手探りされている。導き出された方法が「前回の集会で明らかになった関心の低さ」を根拠にしていること、つまり挫折の経験に基づいていることを特筆しておきたい。また「活動することで真実と信頼は広がる」というのが、実感として読みとられると同時に、それ以上に、藤原の一貫した前衛としての自覚(「困難」の自覚)に拠ることも指摘したい。
手元の新聞は、合評と執筆の準備のために何度もページを繰り、折れ目が破れてしまった。その新聞を脇に置いて、わたしは思う。次回の合評の場で、ぼろぼろになった新聞を携えた皆さんと、顔を合わせる夜を。
次回は三月十八日である。【伊藤龍哉】
(『思想運動』1038号 2019年3月1日号)
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