安倍の思惑どおりにいかない日ロ交渉
第二次大戦の結果を受け入れよ


 昨年の十一月シンガポールにおいて、日本とロシアの平和条約交渉を一九五六年の日ソ共同宣言を基礎として加速することで合意した安倍首相とプーチン大統領は、足かけ二二回目の会談を一月二十二日モスクワで開催した。
 日ロ交渉において戦後日本外交の総決算を、と強弁する安倍の真意とはなにか。それは、六月大阪で開催されるG20サミットを機会に訪日するプーチンとの会談で、ロシアとの平和条約締結の目途をつけ、「領土問題」解決の道筋を切り開くことだった。
 皮算用では、その成果にたって参議院選挙を有利に運ぶことが策謀されていたのであろう。しかし、今回の会談ではそれにつながるような安倍の望む進展はなかった。
 日本国内では、昨年の「合意」を、「北方領土」四島返還論から歯舞・色丹二島の返還論に後退させたという政党・メディアによる偏狭なナショナリズムが喧伝された。それは性懲りもなく、「北方領土=固有の領土、不法占拠」論で蔽いつくされている。
 日ソ共同宣言では、戦争状態を終結し、平和友好善隣関係を回復し平和条約締結交渉を継続するとある。そして平和条約締結後に歯舞・色丹の二島を引き渡す、としている。
 では世論をより現実的な日ソ共同宣言にもとづく二島返還交渉に誘導したい安倍外交に対し、ロシア側の対応はどうであったか、昨年来の発言をみてみよう。
 まず昨年の十二月プーチンは年次記者会見において、日ソ共同宣言についての解釈を示した。二島引き渡しについてはどちらの主権になるのか明記されていない点と、日米軍事同盟との関連で「領土問題」をみる視点を提起した。
 沖縄新基地建設問題を例にあげ県知事と県民の多数が反対の意志表示をしているのに、日本は軍事的にほぼ完全に米国に依存し主権を行使できていないのではないかという疑問だ。
 たとえ二島を返還したとしてもそこに日米安保条約が適用されるリスクは避けられない。
 今年に入って、十四日、日ロ外相会談が開かれた。会談後のラブロフ外相による記者会見は、日本政府の戦後日ソ関係における歴史認識を問う厳しいものであった。ひとつは一九四五年八月十五日、戦前天皇制国家の御前会議が、ポツダム宣言を受諾し無条件降伏をしたこと。九月二日、東京湾ミズーリ号艦上にて降伏文書に正式調印したこと。ヤルタ協定にもとづくソ連の対日参戦は、日本の同盟国ナチス・ドイツ打倒によるベルリン解放とともに第二次大戦の性格に反ファシズム解放戦争という性格を刻印した。
 われわれは以上の観点から、ラブロフが「第二次大戦の結果を認めること」と南クリール諸島(「北方領土」)の主権がソ連領となったことの承認を求めるのは歴史の道理であると考える。ポツダム宣言は日本の主権の範囲を、北海道、本州、四国、九州ほか、連合国が承認する小諸島に限定していたのだ。もう一点は敗戦国がそれを承認したうえで国連加盟を許された「旧敵国条項」である国連憲章一〇七条の承認である。
 これらの問題に意を介さない日本政府・マスコミ・政党の態度、歴史認識の欠落は、日ロ関係だけに限らず、日韓・日中関係においても根は同じだ。昨年の旭日旗掲揚をめぐる問題、海上自衛隊の哨戒機が火器レーダーを照射されたとする問題、元徴用工をめぐる問題、従軍「慰安婦」問題などを利用して反韓国感情を煽動する根底には、三六年間におよぶ日本帝国主義の朝鮮植民地支配の非を認めず、戦争責任、「問題解決のボール」は相手国にあるとする厚顔無恥の姿勢があるのだ。【逢坂秀人】

(『思想運動』1037号 2019年2月1日号