状況 2019・政治  商業紙新年号にみる資本の状況認識
蔓延るブルジョワ的価値観 階級の視点で世界と日本をみよう!

広野省三

天皇、劈頭をかざる

 今年の新年の商業新聞報道をみると、各社ともに「天皇報道」満開で、「平成最後の」「国民に寄り添う」「名君」「平和天皇」の治世を、全国民で寿ごうといった、宮内庁・政府・マスコミ一体となった、まるで「大日本翼賛PR紙」の観を呈していた。そうした「一億総臣民化」状況に抗って、われわれが明確に天皇制廃止の主張を打ち出すことは重要だ。
 しかしそのときには、改めていうまでもなく、われわれ自身が支配階級(資本家と天皇制を利用する勢力)の意図を十分に捉えてこの問題と向き合う必要がある。興味本位も含めて圧倒的多数の「国民」の支持を背景に、「嫁姑問題」、「兄弟の確執」、「天皇家の婚姻騒動」等々、下世話な話を交えつつ、連日マスコミによって天皇報道がくり広げられる。これらを通じて被災地慰問だけではない、「お言葉」だけではない、一般の家庭にもよくある天皇家の問題、「フツーの皇室」のソフトな「象徴天皇」イメージがつくりあげられている。
 その間にも世界と日本で、労働者人民に直接・間接かかわる重大な出来事が噴出している。資本主義が生み出すさまざまな矛盾から人民の眼をそらさなければならない。そして個別の闘いが全体に、資本主義の打倒から社会主義の実現に向かう道、その芽を徹底的に摘みとること。かれらはそのことを十分認識した上で、天皇報道をやっている。
 本来古臭芬芬、「神がかり的」「血にまみれた侵略と戦争の責任者」「差別の根源」といった暗いイメージで連想される天皇制を、天皇代替わりを機に、ついぞ明るい話題がない日本社会のなかで「明るくほほえましい天皇家」、「新しい時代の到来」として描き出し、人民の間にいっときの幸福感、一種のカタルシスを与えようとしているのだ。
 『読売』一月一日「社説」は書く。「一九八九年に世界の一五%だった日本のGDPは六%に低下し、中国に抜かれて三位となった。人口は減少に転じ、労働力不足が深刻な地方は社会基盤の維持さえ困難になりつつある。六五歳以上の高齢化も二八%に倍増している」。
 若者は満足な仕事にも就けず、結婚すらむずかしい、十月からは消費税の一〇%への値上げがひかえる。日本国民の間に、深く、広く存在する現状に対する不満、未来への不安。これのガス抜きの役割を「天皇」に託しているのだ。そこでは安倍を「戦争勢力の元締め」とし、天皇を「平和を祈る心やさしい年寄り」と描くことなどお手のものだ。
 「左翼」、知識人、文化人の発言のなかに、しばしば、天皇と安倍改憲ファシズム政権の間に対立があるかのような論がみられる。しかし、安倍は考えられないくらいの回数の「外遊」をこなして世界中に金をバラまき、天皇は日本各地とアジアの一部の国に「慰霊」と「慰撫」の旅に出る。
 両者は日本資本主義体制絶対維持の階級的使命をもって、共同で計画的に行動していると捉えるべきだ。
 安倍改憲を批判し、立憲主義の回復を訴える「日本リベラル派」とも呼べる人たちのなかにも、天皇と日本国民に存在する戦争と植民地支配責任への追及をあいまいにし、あるいは朝鮮・韓国、中国をはじめとするアジアの人びとの責任追及の声にひらき直り、「いつまで過去にしがみついているのだ」と軽蔑・揶揄する感情がみられる。こうした感情はより本質的に言えば、古くはソ連、現在は中国・朝鮮などの社会主義に対する嫌悪・敵対観がその根底にある。
 「われこそ保守本流」と公言し、「憲法九条は現実にそぐわないから変えるべき」を持論とする立憲民主党の枝野代表は、次期首相を夢見てか、一月四日、歴代首相の新年の参拝が慣例となっている天皇の神社・「伊勢神宮」を訪れた。
 いっぽう「停滞の平成」という考えが、『日経』、『読売』、『産経』に出ている。『日経』は一月一日号「社説」で「日本は平成の『停滞の三〇年』を脱してどう針路をとるべきだろうか」と記し、『産経』にいたっては、一面「年のはじめに」のタイトルで「さらば『敗北』の時代」を掲げ、その冒頭で論説委員長が「平成は『敗北』の時代だったな」と肩を落として述懐してみせている。一見矛盾しているようにみえるが、資本家連中はそういう認識なのだ。
 かれらは日本社会の危機的状況をはっきりと認識している。であるからこそ、資本主義の矛盾を人民の肩に転嫁しつつ「克服」し、労働者人民の眼を現実からそらすことに全力をあげているのだ。

「AI未来」の氾濫

 もう一つ、新年号の各紙が共通で特集していたのはAI。あらゆる機器をネットワークにつなぐ、「モノのインターネット(I0T)」と人工知能(AI)技術の実用化の問題だ。『毎日』は新年号で「空飛ぶクルマ」、無人運転の車と電車を語り、『日経』では「第五の革新」「『頭脳資本主義』が価値を生む」の見出しが躍っている。
 そしてそれらを通じて「新しい未来が拓かれる」、人類が、そして労働する人民が加重な労働負担から解放されるというイメージがふりまかれていく。しかし資本家たちが追求しているのは、自分たちに入る、より大きな利潤だけなのだ。われわれは決して、資本家による技術革新が労働者の労働条件の改善を考えて進められているわけではないことを忘れてはならない。
 『思想運動』の新年号の付録に、ギリシャ共産党が昨年十一月に開催された第二〇回共産党労働者党国際会議に提出した文章が付録として掲載された。それは冒頭から問題意識がはっきり示している。
 「共産党労働者党の関心の的は現代の労働者階級である」と。
 近年、労働者階級の革命的役割について、またはその存在そのものについて、入れ替わり立ち替わり異議、新説を唱えるブルジョワ・プチブルの声が増している。実際、現代には、労働者階級というカテゴリーは存在しないという意見が、商業新聞にもよく出てくる。新しい革命主体を求める者が姿を変えて立ち現われている。そしていまは、それをAIの問題とかかわらせながら論じている者が出ているのだ。ギリシャ共産党は、それは間違いだと、はっきり指摘している。歴史の歯車はいまも、科学技術にかかわる者を含めて賃労働に携わる労働者大衆が回しているのであって、階級闘争の主戦場は職場・生産点にあるのだ。
 商業新聞は日々さまざまな問題を取り上げるが、賃労働と資本、膨大な社会的生産力と一握りの資本家による生産手段の私的所有という資本主義の根本矛盾、そしてこの矛盾を解決できるのは労働者階級の闘いが基本になる、この真実を決して書かない。
 かれらは、資本主義社会に噴出する問題に目を配り、さまざまにコメントはするけれど、それをどう解決するのかということになると、よくて両論併記、あとはみなで勝手に考えて、ということだ。
 われわれはそうしたものと対決する新聞を作らなければならない。資本主義の矛盾の根本にある私的所有を常に問題にすること。この点にこそわれわれは一番注力しなければならない。しかしそれはだれかの理論、マルクスであれレーニンであれ、完成された理論に寄り掛かることで解決できるものではない。自分たち自身で討論し、実践して作り上げていくしかない。困難な課題だが引き受け、立ち向かわないと「革命的ジャーナリズムの創出」を掲げる『思想運動』を出す意味はない。

米中対立を巡って

 商業紙新年号のもう一つの特徴は米中対立の問題を扱っていることだ。『東京新聞』は「『新冷戦』米中覇権争い」の大見出しで特集頁を組んでいる。ブルジョワの側は、「米中逆転時代の到来」は既定事実と捉え、それを見据えて自分たちの支配体制をどう整備・維持するかを考えている。
 安倍も難しい舵取りを迫られている。中国と対立しっぱなしでは日本経済が立ち行かない。だから、経済関係だけはうまくやりたい。ところが、中国脅威・「無法国」キャンペーン、対朝鮮敵視政策で日本国民を排外主義に誘導し、政権維持をはかってきた経緯もあり、中国とうまいことやろうと思っても矛盾が出てくる。それをどうコントロールするか、かれらはかれらなりに頭を悩ませているだろう。
 日ロ関係の問題も出ている。
 日米関係にしても、トランプから膨大な額の武器購入を迫られたら「ヘイヘイ、承知しました」と受け入れざるを得ない状態で、それこそいま流行の「ニッポン偉い」「安倍流日本ファースト」がどこにあるのか、ということになる。
 「モリ・カケ」「毎月勤労統計」、ひきもきらない企業の不正事件、圧倒的多数の沖縄県民の反対の声を無視した辺野古新基地建設の強行。
 無理に無理を重ねても真実を覆い隠し、延命を図らねばならない。グローバルに展開し、金儲けのためなら戦争も人殺しも何でもやる資本は、すでに自己コントロールの能力を失っている。本当はブルジョワの方が困難に陥っているのだ。しかしそれを隠しとおすテクニックも含めて、かれらの方が世界情勢認識、あるいは階級的な本能で労働者階級の数段上をいっている。
 年末、労働組合主催の集会に出たが、そこでは主催者が「平成のうちにおきた争議は平成のうちに解決しましょう」などと、何の根拠も示さずくり返し、天皇代替わりのムードに無自覚にのせられていた。いくつかの「左翼」党派の機関紙や労働組合の議案書などを読んでも、ほとんどが商業新聞の情勢分析を引き写しているだけだ。そこには労働者階級の階級的観点は見当たらない。闘いの最初の時点から負けているというのが実態ではないか。
 『社会評論』の一九四号にはギリシャ共産党のコーツォンパス書記長の論文が掲載されている。これまでの論文でも示されてきているが、かれの問題意識は明確で、紋切り型の社会主義理論をいくら振り回しても駄目だ。社会主義とだけ百万回言っても駄目だ。どういう風にして社会主義の重要性を労働者人民の前に具体的に示しすのか。その説得の論理と手段を工夫し、どう青年層に広げるのか。それが現代のコミュニストの最大の課題だと指摘し、これに全力をあげて取り組もうと訴えている。
 もちろん、それはSYRIZA(急進左翼進歩連合・ギリシャの改良主義的左派政党)的な、あるいは社民主義的な(いまでは日本共産党もこの仲間入りを果しているが)、資本主義の枠のなかで問題が解決できると考えることではない。
 社会主義の実現を訴えることと同時に、いま人民が置かれている困難な状況をどうやって打開していくのか。共産党の活動家は先頭に立ってこれを説明して、闘う。それがない限り、いくら資本主義の危機だとか、政権に腐敗や問題があるとかいっても、それだけでは人民のなかにほんとうにはくいこめない。
 米中対立の問題にかえると、カナダ当局がファーウェイの責任者を逮捕した問題は、単に貿易問題ではない。ファーフェイの技術が、通信の第五世代で、いろいろな場面に使われていく。中国は「中国製造2025」でこれを中核に位置づけている。
 世界のブルジョワが考えていることは日本のブルジョワも考えている。日本で起こっていることも、世界で発生している。独占、官僚、アメリカの強要、そういう雁字搦めの支配体制のなかで、それをひっくり返す闘いを構想するのだから、われわれは敵の側が何を考えているのかをきちんと見る必要がある。
 資本家の合言葉は「労働者階級をぶっ潰せ」であり、われわれの合言葉は「労働者前へ!」だ。

(『思想運動』1037号 2019年2月1日号