絶対に動かしてはいけない東海第二原発
20年運転延長は狂気の沙汰


原電へ三波の抗議行動


 茨城県東海村にある東海第二原発の廃炉を求める「とめよう!東海第二原発首都圏連絡会」の取り組みの一つを報告する。東海第二原発が本来「四〇年の法定期限を終了する日」である十一月二十七日、当会主催の「11・27アクション」と題する三つの波状行動が、日本原子力発電(原電)本店周囲で行なわれた。第一波は、署名提出(原電社前に署名四万八〇〇〇筆超を積み上げ、受け取り拒否に抗議)、第二波は、デモ(原電のある東京の神田周辺二km)、第三波は、原電包囲(ヒューマンチェーン)という構成で、のべ二五〇人が結集した。
 署名受け取り拒否は、原電の異常な企業体質を象徴するものであり、マスコミも批判的に報道した。デモでは、神田界隈に「日本原電署名を受け取れ!」「オンボロ原発うごかすな!」「運転延長ありえない!」のコールが響き渡り、沿道やビルの窓から手を振る人もいて、世間にはまだまだ知られていない東海第二原発の危険性を訴えることができた。原電社前では、音楽と多くの人のスピーチ、コール、二回の人間の鎖行動で、にぎやかに抗議した。原電が人々の怒りで包囲されていることを、目に見える形で示したといえる。

東海第二原発を動かしてはいけない

 東海第二原発(沸騰水型、一一〇万KW)は、地震に対する意識が薄い米国ゼネラル・エレクトリック(GE)社の設計をそのまま取り入れ、一九七二年に設置許可を取得している。旧耐震設計審査指針(一九八一年策定)以前の古くて耐震性の低い設計である。後付けでいくら補強しても、設計の根本は変えられない。
 同時期に建設された沸騰水型原発は、現在、電力会社の経営判断ですべて廃炉になったが、原電だけは、昨年十一月に運転延長を申請した(注:加圧水型では、同時期に建設された高浜一、二号と美浜三号が運転延長を認可されている)。
 そして、原子力規制委員会(規制委)は、本年十一月七日に、あっさりとこれを認可した。「四〇年ルール」は形骸化され、運転延長が慣例となった。原電の延命のために、首都圏を放射能の危険にさらす無謀な運転延長を認めたことは、規制委がかつての名ばかり規制当局に先祖返りしたことを示している。
 東海第二原発は、3・11で被災してボロボロになり、寿命の尽きた老朽原発である。東海第二の法令届出事故発生率は、ダントツの日本一である。二〇年運転延長などもってのほかだ。
 しかも、東海第二の安全対策費用は、福島第一原発事故加害者である東京電力の資金支援が前提となっている。国の資金で被災者の賠償等を行なう立場にある東電が、原電(実質東電の子会社)の資金支援を行なうことは、税金による原電支援にほかならず、東電自らに利益誘導するものだ。
 福島第一原発事故後に原子力損害賠償・廃炉等支援機構ができたことで、原電は「原発事故を起こしても最後は福島の事故と同様、国が賠償機構の制度を通して補償する」と住民説明会で述べるなど、「親方日の丸」意識丸出しである。原子力損害賠償・廃炉支援機講法は、「相互負担の原則」で全原子力事業者一二社による出資を基盤としているが、そもそも、上位法である原子力損害賠償法第三条の当該原子力事業者のみが賠償責任を負うという「責任集中の原則」に反している。
 結局、原子力事業者の不始末を国民が税金と電気料金で尻拭いする仕組みになっている。原子力事業者への手厚い保護のもと、原発推進は国策として、エネルギー基本計画に組み込まれ、漫然と、不採算だろうが、環境破壊だろうが、首都圏壊滅だろうが、かまわず進行しているように見える。
 責任の所在が不明で、誰も責任を感じることなく既定路線を行くのみだからだ。
 ひとたび過酷事故となれば、放射能は半日以内に東京にも飛んでくる。首都圏からの膨大な数の原発避難民は行き場を失うことになる。福島第一原発事故で起こったことは、ひとごとではない。無責任極まりない東海第二原発の存続を断念させるために、一人ひとりが当事者として声をあげよう! 【中村泰子】

(『思想運動』1034号 2018年12月1日号