起こるべく起きた企業主導型保育所休園問題
背景に安倍政権の新自由主義政策
東京・世田谷区で、今春開所したばかりの「企業主導型保育所」が、早くもこの十一月に休所となった。十月、そこで働く保育士が、園長も含めて一斉に退職したためである。退職した保育士たちが言うには「給料が未払いだった」(『朝日新聞』十一月二日付)。「休日返上で月二六〇時間以上働いたこともあったが、残業代も賞与も出ない」「〇歳児三人に一人の決まりのところ(これでも厳しいのに)、〇歳児八人に保育士一人の時もあった」という(『週刊文春』十一月二十二日号)。
待機児童が多い世田谷区で、藁をも掴む思いでわが子を入所させた保護者にとって、驚きと不安と失望で目の前が真っ暗になった出来事だったろう。「全員辞めるなんて、何とか回避できなかったのか!?」と、保育士らに対し怒りの声を上げていると聞く。
しかし、この問題は二〇一六年に安倍首相が「企業主導型保育所」設置を強引に進めた時から危惧されていたことであり「起こるべくして起きた」問題であると言わざるを得ない。
子どもの安全も保育士の人権も無視
安倍は、二〇一三年に待機児童問題を「二〇一七年度末には解消する」と宣言しておきながら何度も先送りし、先の衆院選挙で「二○二○年度末までに三二万人分の保育の受け皿をつくる」と放言し再度首相についた。そして、その手っ取り早い「待機児童解決方法」が、今回問題になっている「企業主導型保育所」の創設であった。
この「企業主導型保育所」は、「働き方に応じた、多様で柔軟な保育サービス」ができ「夜間や土日、短時間や週二日など働く従業員への対応も可能」な保育施設であり、「複数の企業が共同で設置し利用できる保育施設である」ことをうたい文句にしている。保育士は「認可保育所の半数でよし」とし、保育室の面積も狭いが認可保育所並みの助成金が出る。さらに、企業が自治体に届け出るだけで、審査も受けない「超」がつくほどの緩やかな条件で開設できることが特徴である。
預けられる子どもの安全や、そこで働く保育士の人権などはまったく無視と言ってよい。こんなことから「保育は素人」の不動産屋や、カネ目当ての企業が参入しているという。また、子どもの人数に空きがあれば、その地域の子どもも入所でき「待機児童解消」にもなると「一石二鳥」を謳った施設でもある。
内閣府から、この「企業主導型保育所」の審査や指導を委託された公益財団法人「児童育成協会」によると、今年三月末の時点で全国の二五九七施設(定員五万九七〇三人分)に助成が決まっているという( 前掲『朝日新聞』)。
が、一七年度は「八〇〇箇所・七六%の保育施設で保育計画などに不備」があったという報告も出されている。また、秋田市の保育所元代表らが助成金詐欺容疑で「逮捕」(前掲『週刊文春』)という報道もある。
企業主導型は憲法の理念に反する
この、内閣府が審査や指導を丸投げしている「児童育成協会」は、「子どもは歴史の希望である」ことを基本理念にし「子どもたちの最善の利益を目的にした事業活動を行なっている」という。が、そもそも子どもの安全や発達を無視した「企業主導型保育所」を認め指導していることそのものが間違っている。また、住民と直接かかわっている世田谷区は「企業主導型保育所は、区に審査や指導の権限がなく情報も十分でないために区が休園になった園の事を知ったのは直前になってからの事……。休園に至るまで手が打てなかった」と言っている(『東京新聞』十一日七日付)まったくの責任放棄だ。そして、本来なら保育所の管轄は厚生労働省であり、憲法二五条が「国は、すべての生活面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」と謳っていることを、実行しなければならないはずだ。
安倍政権が柱としているのは、今さら確認するまでもないが「新自由主義政策」である。「猫だまし」のような「待機児童解消政策」とか保育料の「無償化」などということを打ち出してくるが、新自由主義の柱になる思想は「自己責任」である。安倍たちには、憲法で保障されている「生存権」思想や理念など、まったく眼中にないことを常に思い起こさねばならない。政府の責任において、安心・安全な保育施設の設置とそのための十分な保育士の配備を強く望む。【村上理恵子】
(『思想運動』1034号 2018年12月1日号)
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