ルポ 十月社会主義革命一〇一周年記念集会
チリの革命と反革命の経験に学ぶ
チリの反革命クーデターから四五年
十一月十日、東京・文京シビックセンター・スカイホールにおいてロシア十月社会主義革命一〇一周年記念集会が本郷文化フォーラムワーカーズスクール(略称HOWS)と〈活動家集団 思想運動〉の共催で開催された。
例年とは場所も異なり夜間の開催ではあったが一〇〇名の参加者が来場した。
冒頭、司会者からロシア革命集会で映画『チリの闘い』を上映する意味について説明があった。今年はチリ反革命軍事クーデター(一九七三年九月十一日)から四五年になる。非暴力的な形態による社会主義への道をめざしたチリ人民連合政権の経験から学ぶことの意味は大きい。それは、革命と反革命のせめぎあいのなかで帰着した結果からの反動として、ロシア十月革命が切り拓いた道から逸れ、先進資本主義諸国であるヨーロッパの共産党が辿った転落現象からも検証されなければならない。そしてその具体例としてイタリア共産党の「歴史的妥協」路線による解党の道を挙げた。われわれが学ぶべきは、本集会のチラシにもあるチリ革命の指し示す人民革命の思想の復権にある。
続いて、HOWS事務局責任者で〈活動家集団 思想運動〉常任運営委員会責任者の広野省三が主催者挨拶に立ち、先頃韓国大法院が出した元徴用工裁判判決をめぐる日本の反動的な思想状況に触れながら、後期のHOWS講座の特徴点を、「日本のナショナリズムと近現代について」「大西巨人『神聖喜劇』を読む」を中心に紹介し参加を訴えた。(一面参照)
映画『チリの闘い』について
映画『チリの闘い』第二部「クーデター」上映にあたって井野茂雄が解説した。
映画『チリの闘い』はアジェンデ政権倒壊前の一九七三年三月から九月までの半年間の人民の闘いを記録している。
映画の背景となるアジェンデ政権の特殊な性格について、チリにおける議会選挙を通じた社会主義への合憲的な移行の道は、おかれた状況として戦争や内乱と結びついた武装闘争の形態をともなったロシア革命や中国革命、キューバ革命などと異なったもので、当時、銃なき革命の道として日本だけではなく世界中で議論されていた。
次にアジェンデ政権の成立事情と政権運営の困難が説明される。一九七〇年九月の大統領選挙に勝利した社会党・共産党を軸とした人民連合政権は三六%の支持率しかない少数与党からの船出だった。議会運営では中道勢力との協力関係を追求するのであるが、野党保守勢力からの妨害工作があり、壁につきあたる。映画の第一部「ブルジョワジーの叛乱」では、政権成立後二年半を経過した七三年三月の国会議員選挙において人民連合は四三%の得票率で過半数をとれず議会運営は野党との対立がより先鋭化し困難となる。アジェンデ政権の三年間は、国内ではブルジョワ、プチブルによるサボタージュに遭遇している。国外的には、米国政府による露骨な内政干渉がありチリ反動派を使嗾する。アジェンデは、危機的状況を打開するため九月十一日に議会と政府との争点を国民の審判によって解決するため国民投票の実施を決定するが、これを回避するため軍部反動派は同日に軍事クーデターを決行する。
この映画の特徴的な点は、人民連合側の党派や労働者ばかりではなく反革命側のトラック業者や中間層などにも焦点をあて客観的に記録していることだ。政治的な動向だけではなく、人民がどのように闘っているかを注視して観ることを勧めた。
チリ軍事クーデターの真相
「社会主義とはなにか――ラテンアメリカの経験に学ぶ」と題して〈国際交流・平和フォーラム代表〉の富山栄子が記念講演をした。
講演レジュメは、本日のテーマの結論として「敵対勢力による試練を受けつつも、西半球諸国民の闘いは継続するだろう」を冒頭に掲げ、以下の三点で構成されていた。
一、現在のラテンアメリカの現状
二、一九七三年九月十一日に起きたこと
三、新自由主義反対!そして「二一世紀の社会主義」――地域統合への闘い
富山は、大統領府のあるモネダ宮殿が反革命軍に攻撃される生々しい映像を観たあとなのでと前置きして、四五年前の真相としてこの軍事クーデターから話し始めた。
まず本紙の十一月一日号一面写真を紹介した。写真は七三年九月二十八日キューバの首都ハバナで開催されたチリの反革命クーデターに抗議する大衆集会で、一〇〇万人の人びとが参加したと言われる。
この集会でフィデル‐カストロ首相が「一九七三年九月十一日に起きたこと」として話したことが報告された(本紙前号参照)。
そのなかで引用されたアジェンデ大統領の言葉「わたしたちは歴史の第一ページを書く、残りはチリ人民とアメリカが書くであろう」と述べた「アメリカ」は、英語で言う米国のことではなく、スペイン語でアメリカというときは、もともと住んでいたアメリカ先住民、そして奴隷として連れて来られたアフリカの黒人の子孫たち、そしてスペインや北米の植民地主義、あるいは新植民地主義とたたかう諸国民から成り立つ大陸、これを「アメリカ」というとの指摘は、チェ‐ゲバラの言説にもあるようにラテンアメリカ解放のたたかいに自覚的な意志をもって結びつけようとしたインターナショナルな姿勢として感動的だった。
また当日の夜半、治外法権下にある在チリ・キューバ大使館にたいし反革命軍は二回の攻撃を加え、同船はパルパライソ港に停泊していた非武装のキューバ商船にたいしても砲撃を加え同船は沈没寸前の状態となったことも忘れてはならない。軍事クーデター以後も軍事評議会は、四万人の人びとを検挙し、逮捕・拷問・殺人・行方不明とその数、数万人におよぶと言われている。米国のチリ軍事クーデターへの公然、非公然の関与はコンドル作戦といわれ、中南米全体を覆い左派系の活動家への弾圧が続いた。
四五年前のチリの経験は、地域諸国の経験ではあったが、わたしたちがチリの経験から学ぶという場合、選挙で勝利した後、どれだけの困難が待ち受けているかも知らなければならないという指摘があった。今日においてもチリは新自由主義推進の右派政権で、ピノチェトの軍政期に施行された憲法がいまなお改正できない状態におかれている。
危機に直面する 西半球諸国
地域統合が進んだ今日のラテンアメリカに対する帝国主義の政策としてコンドル・プランの説明があった。流血とか軍事ではなく、議会や裁判所といった制度を利用したソフト・クーデターと非通常戦争といって物流を麻痺させるとか(これはチリでもみられた)虚偽とウソによる情報操作(「フェイク・ニュース」)、つまり経済戦争や情報戦争といったプランに特徴づけられる。つまり古典的にいえば、一九世紀のモンロー・ドクトリンは継続されており、北米が西半球の主人であって、南北アメリカは米国の支配下におかれるという主張だ。こうした意味で西半球では、帝国主義的・植民地主義的支配は終わっていないと論じた。
講師は、十月革命記念日の一九四四年十一月七日に時の天皇制権力によって巣鴨刑務所で処刑されたリヒャルト‐ゾルゲと尾崎秀実の記憶を想起させた。社会主義ソ連邦とともに帝国主義戦争を終結させ平和をたたかいとるために斃れた人々を! また八九年十一月九日のベルリンの壁崩壊についても触れた。こうした事象が社会主義とはなにかについて考える契機になればよいと思うと述べた。
現在のべネズエラのマドゥーロ政権にたいするメディアによる情報の歪曲には眼を覆うものがある。米国の経済的制裁・軍事的脅威は、チリにおいても見られたように、どうしてもマドゥーロ政権を倒したいという帝国主義の本質は変わっていないことを明示している。ブラジルにおける極右大統領の当選という逆流はあるものの、わたしたちにとっての希望は、十月三十一日に米国による対キューバ封鎖の終焉を求める国連総会採決が九二年から連続二七回目の賛成一八九:反対二(米国・イスラエル)で採択されたことだ。世界は、キューバの主権・独立を守るたたかいを支持している。またメキシコでは中道左派の大統領が誕生する。富山は冒頭の「結論」に立ち戻り、困難ななか人民の闘いは前進すると力説した。
続いて、在日本朝鮮人総聯合会、駐日キューバ共和国大使、駐日ベネズエラ・ボリバル共和国特命全権大使、ギリシャ共産党の四つの連帯メッセージが紹介された(これらのメッセージは次号の『社会評論』に掲載予定)。
最後にチリ人民連合のうた「ベンセレーモス」と「インターナショナル」を参加者全員で斉唱し、集会を終えた。【逢坂秀人】
(『思想運動』1033号 2018年11月15日号)
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