朝鮮半島問題を考える10・31講演と討論の集い
日本国民の責任の自覚を問うた浅井報告


 十月三十一日、東京・文京区で「朝鮮半島問題をめぐる運動の課題 10・31講演と討論の集い」が開かれ、一二〇名が参加した。最初に「壊憲NO! 96条改悪反対連絡会議」共同代表の二瓶久勝さんが主催者あいさつを行なった。
 安保関連法や共謀罪などで「戦争のできる国」への転換を着々と進め、任期中の憲法改悪をも明言した安倍政権の危険性を指摘した。また年金の支給年齢切り上げ、時間外労働時間の月八〇時間までの認可、非正規社員の雇止めなど、福祉の切り捨てと労働者搾取の強化が続いているにもかかわらず、安倍政権の支持率がさして下がらない日本社会の腐敗ぶりに怒りを叩きつけた。
 さらには、そういった状況を根底で支えている独占企業のブルジョワ支配に対して、有効な反撃を組めていない軟弱な野党を批判し、何より労働組合の弱体ぶりを指摘して運動の再生を訴えた。

国際感覚を身につけるためには

 次に元外務省勤務の浅井基文さんが登壇。演題は「和平にむかう朝鮮半島と日本のわたしたちの課題」。最近の朝鮮半島の和平への動きが小休止状態の折、浅井さんはこのさい前提となる基本認識を確かめておこうと呼びかけて、「外交」というわれわれ一般庶民にはなじみの薄い問題を考えるにあたって身に着けておくべき素養を解説した。
 はじめに現代においては「戦争はもはや不可能である」という現実がある。国際的な相互依存関係が深まり、人間の尊厳に対する国際的な共通認識が定着しつつある一方、地球規模での環境問題や食糧危機など各国が一致して取り組むべき課題が山積しており、これからの国際社会は「ウィン・ウィン」の共存共栄でなければ立ち行かないということがすでに世界の常識となっている。そのことを日本人は肝に銘じるべきだ。
 次に浅井さんは国際感覚を身に着けるために必要な「三つの感覚」について論じた。第一に自国中心のものの見方を改め、日本国憲法前文の精神を思い起こすこと。「時代遅れどころか、今こそ平和憲法の出番である」という確信を持つべきだ。
 次に国と国の関係を考えるうえで踏まえておくべきなのは、歴史感覚であるとして、「歴史を忘れるものはその歴史を繰り返す」というドイツのヴァイツゼッカーの言葉を引きながら、具体的には日本の対アジア関係で問題になっている拉致問題や領土問題について、従軍「慰安婦」問題やポツダム宣言などに対する日本人の認識不足を厳しく批判した。
 第三に、浅井さんは外務省での実務経験で学んだこととして、「他者感覚」を身に着けることが重要だと述べた。これは他者を「他者として」、その「内側から」見る目を養うことであり、たとえば朝鮮民主主義人民共和国(以下「朝鮮」と記す)の思惑を知るためには、朝鮮が発行している新聞などのメディアを継続的に見ておくと良い。浅井さん自身がそのことを毎日実践していると言い、資料として配布された「朝鮮中央通信掲載の対日論調」を例に、時系列に沿って記事を見ていく際には見出しではなく事実を確認していくことが大切だと説かれた。
 国際世論を味方に付けなければ南北和平を実現できない以上、朝鮮はウソをつくことはできないのであり、「北朝鮮は信用できない」という日本側の決めつけは事実に反する。
 今年六月の米朝首脳会談以降、朝鮮中央通信などは「平和を願うなら平和的な行動論理に従うべき」と、しきりに日本に「過去清算」を求める論評を掲載してきた。これは靖国史観を奉じ日本会議などの極右勢力と結びついた安倍政権に、方向転換をうながすものだったといえる。しかし八月十五日の終戦記念日以降はがぜん論調が厳しくなっており、現状のままの安倍政権では日朝首脳会談の実現は難しいだろう。

国際社会の常識を踏み外す安倍政権

 安倍政権の外交の問題点とは何か。まず朝鮮側の提示した「過去の清算」、すなわち冷戦的発想からの決別という問題提起を一貫して無視しているのが全然ダメである。これでは話し合いに向けた共通の土俵は作れない。対米協調を後ろ盾にした「力の政治」や、「北朝鮮脅威論」を煽っての軍事大国化、さらには戦前回帰の志向など、安倍政権の体質は時代錯誤がきわまるといえる。安倍がしきりに唱えている「拉致問題の解決なくして国交正常化なし」という決まり文句があるが、日朝平壌宣言に記された文言をしっかりと見ていけば、こんなものは詭弁だとわかる。つまり平壌宣言の第三項にあるように、拉致問題については「今後再び生じることがないよう適切な措置をとる」という日朝両政府の合意によって解決済みなのであり、生存している可能性のある被害者の帰国については、国交正常化の交渉とは切り離して扱うのが筋なのである。このことは二〇一四年のストックホルム合意からも確かめられる。
 こういった自明の理がなぜ日本では受け入れられないのか。
 依然として「北朝鮮は何をしでかすかわからない」という言い方がまかり通っているが、一九九〇年代からの朝鮮の政策を見てみれば、そこには首尾一貫した方針があるのであり、それが読みとれないのはやはり日本人が潜在的に持っている朝鮮への蔑視のゆえ、また米・日・韓のメディアが垂れ流す情報を無批判に受け入れてしまっているからだろう。「またもや北朝鮮が約束を違えた」という紋切り型の報道は、その裏にあるアメリカの仕掛けを見せないようにするものだ。そもそも朝鮮が「何をしでかすかわからない」存在だったら、韓国や米との首脳会談が実現するだろうか。
 むしろ圧力によって朝鮮を屈服させようとする日本の傲慢さこそ、国際社会の常識を踏み外している。誇り高い朝鮮民族がそのような圧力に頭を下げることはない。
 しかしこのような安倍政権のふるまいを許しているのは、結局のところわれわれ日本国民の責任だということを自覚するべきだ。都合の良いときだけ「市民」と名乗って、傍観者のようなつもりになっているのが日本人の悪い癖である。日本国憲法の主体である日本国民として、その身に負っている政治責任と責務を忘却することは許されない。日本を動かしている主権者はわれわれなのだということを今一度しっかり思い起こしてほしい。
 その上で、朝鮮の日本に対する論調をわがこととしてしっかり受け止めよう。朝鮮はいったんは交渉の条件を提起したものの、再び批判的な姿勢に転じているが、外務省のスポークスマンは発言を控えており、「日本研究所」が非公式に見解を発するという慎重姿勢を取っている。扉は開かれているとみていい。万が一、戦争という事態に至れば、それは確実に核戦争となる。日本を核の廃墟としないためにも、いまこそ日本国民は韓国・ロシア・中国の政策に協力する政権を誕生させるべきだし、まずはそのことを明確に主張していくべきだ、という提言で、浅井さんは講演を締めくくった。
 会場からは朝鮮国内の人権問題について質問があったが、浅井さんはここでも、日本人は単なる「市民」ではなく日本国民としての立場を自覚して、国連憲章に記された「内政不干渉」の原則を考慮するべきだと明確な論理で答えた。【野田光太郎】

(『思想運動』1033号 2018年11月15日号