<映画時評> 『華氏119』(マイケル‐ムーア監督)
真にアメリカ合衆国の「歪み」を匡すには
ドキュメンタリー映画『華氏1 1 9( 原題:Fahrenheit11/9)』(二〇一八年、一二八分、アメリカ合衆国)は、マイケル‐ムーア監督の最新作である。タイトルは、ドナルド‐トランプが選挙で大統領に決まった日を表している。去る十一月六日におこなわれた中間選挙で、トランプを敗北に追いやるために制作された。
ムーア監督はアメリカ合衆国社会の「歪み」を告発し、それを匡す闘いの先頭に立ち、参加をよびかける。「歪み」とは、トランプ政権の下では、アメリカ合衆国の民主主義が機能不全に陥って合衆国国民の多数意思(銃規制・健康保険制度・移民受け入れ問題・中絶の是非など)を反映しなくなっていることである。
ムーア監督の映画は、映像による「雑文」といっていい。切れ味がいいので、心に留めたい事実やインタビュー発言にわれわれは出会うのだが、あまりの「早口」であるため、内容を理解する速度が「早口」についていけなくなりそうにもなる。スピードではなく、考えるために立ち止まること(中断)をさせないのである。ジェットコースターに乗っているような楽しさを味わえるが、それでいいのだろうか?
映画は、トランプが大方の予想を裏切って大統領になったところから始まる。なぜ選挙は民意を反映しないのか?
ヒラリー六六〇〇万票、トランプ六三〇〇万票。無投票一億。大統領候補者を絞る過程から民意を反映しないマスコミの「作為」があり、他候補者を蹴落とすトランプの虚言・妄言があり、バーニー‐サンダースを候補者から蹴落とした民主党の「スーパー代議員」制度があり、合衆国の選挙人制度そのものにも得をするものの利権を嗅ぎとるのだ。それだけではなく、民主党がトランプを勝利させたのだと、民主党をも批判する。ラスト・ベルト(錆びついた工業地帯で五大湖周辺のペンシルヴェニア、オハイオ、ミシガン、ウィスコンシンの四州を指す)の「忘れられた人びと(労働者)」に声をかけたのはトランプであり、民主党は失望しか与えなかったといい、ムーア監督の故郷でもあるミシガン州フリントの水道水汚染問題を引き合いに出す。二〇一〇年に州知事になった共和党のスナイダー(実業家)は疲弊した市を緊急事態管理者法で自治権を停止し、公益事業の民営化を推進。民営化した水道事業で敷設した新パイプラインが原因で鉛中毒者が激増した。事実の隠蔽改ざんが明らかになり、市は窮地にたったとき、オバマ大統領(当時)が駆けつけて事態の収拾にあたったが、汚染水道水を飲む(ふりの)パフォーマンスで安全宣言を出したのだ(二〇一六年)。このような失望感が民主党支持労働者の投票行為を棄権させ、トランプに大統領への途をひらかせたのだというのだ。
カメラは「歪み」の当事者である貧困化していく多数者(労働者)の苛立ちを映し出していく。ウェストヴァージニア州に端を発した公立学校教員のストライキ(二〇一八年二~三月)が他州にも拡大していった労働争議をおいかけ、二〇一八年二月にフロリダ州パークランドでおきた高校銃乱射事件を契機に、どの高校の生徒たちが中心となって企画した銃規制強化を求める「わたしたちの命のための行進」(三月)を追いかけるのだ。新有権者(もしくはその予備軍)である高校生は銃を規制しない議員を落選させようといい、共和党の議員一人ひとりに「全米ライフル協会からの献金受け取りをやめるか」とせまる。
バーニー‐サンダースが大統領予備選挙をふりかえって、「われわれはリベラル支配層の脅威だった。もし、ニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストが労働者層の重要なテーマを本気で議論し始めて富裕層と闘う必要を説くと思ったら、大間違いだ」と語るとき、ムーア監督は問題の核心にかなり近づいていたはずだ。しかし、民主主義制度の「歪み」を匡すのに選挙による勝利以外のヴィジョンはないのだろうか。もう一歩踏み出せないのは、視点がアメリカ合衆国内に留まっているからではないのだろうか。ロシア・中国・朝鮮に言及すると、とたんにアメリカ第一主義の観点しかなくなり、批評が影をひそめる。アメリカ合衆国以外の労働者たちの生活も、トランプに象徴されるアメリカ合衆国民主主義によってさまざまな「歪み」が生じているのに関心が薄いのだろうか。そこにまでムーア監督の目配りが届くとき、かれの仕事は驚くべき変貌を遂げるかもしれない。 【井野茂雄】
(『思想運動』1033号 2018年11月15日号)
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