沖縄県知事選挙から学ぶもの
佐々木辰夫(アジア近現代史研究)
現職知事の翁長雄志氏(六七歳)が八月八日に逝去されたことに哀悼の意を表します。次期知事選挙は十一月の予定であったが、氏の急逝によって、八月十三日告示、九月三十日投票に繰り上げられた。
今回の選挙の特徴は辺野古問題が最大の争点になったことである。それは故翁長氏の決断に伴なって副知事らが八月三十一日、辺野古新基地建設をめぐる公有水面の埋め立て承認撤回の法手続きをとったためである。
知事選の立候補者とその得票結果は、表①の通りである。
投票率は六二・二四%であった。
立候補者は四人であったが、事実上、前衆議院議員・玉城氏と前宜野湾市長・佐喜真氏との一騎打ちとなった。以下両者の考えや政策などを中心に追ってみたい。
両陣営の政策を見くらべて明らかなことは、辺野古新基地の是非について明白な相違があることだ。玉城氏は翁長氏の意思継承を前面に出して訴えている。他方、佐喜真氏は『沖縄タイムス』(以下、『タイムス』と略す)の記者の問い「辺野古新基地建設の問題に触れていないが、知事選の争点ではないのか?」(記者がそれが争点であると指摘したのは八月二十四日『タイムス』その他の県民世論調査・辺野古新基地建設反対六〇・二%、同賛成三二・三%に基づく)に対して、その返事は「最も重要なのは普天間飛行場の固定化を避けなければならないこと。一日も早い返還、負担軽減と危険性の除去を常に県民に訴えていきたい」というものである。つまりかれは新基地の建設については終始沈黙である。争点にたいして沈黙を守ることは争点である新基地承認を意味する。事実かれを推薦する政府与党その他は基地建設推進の立場である。選挙結果を先回りしていえば、玉城候補が浮動票を含めて多数の票を獲得したのは、この争点を真正面に据えたからである。それが相手方の争点隠し、辺野古隠しという姑息な手段を打ちやぶったのである。
両陣営は辺野古基地問題以外の政策では大きな異同はない。経済面では玉城側は「自立とアジア経済のダイナミズムに触れ海外交流に力点をおき」(『タイムス』九月十一日)、「万国津梁会議(仮称)設置」構想を示している。片や佐喜真側は国家予算の活用を強調しているが、この側面の違いはあくまでも相対的なものである。
「沖縄の自然環境の保護」をめぐって
両氏とも表記課題を政策にあげている。佐喜真氏は「いのちと暮らしの安心・安定を守る防災と沖縄らしい自然環境の保全・再生」(『タイムス』九月四日)を示している。しかし目下辺野古新基地建設にむけた工事でその周辺海岸の破壊がすすみ海水温が上昇し魚が棲めなくなっている。本紙八月一日・十五日合併号の目取真俊氏の記事では「七月十九日辺野古岬の南東側海域を囲うK4護岸とN3護岸がつながった」。これが現下の「沖縄の自然環境」の歴然たる破壊である。辺野古の環境影響調査にかかわった沖縄大学・桜井国俊教授もこの事実を指摘している。佐喜真氏は後になって「サンゴの種苗開発・再生」を示した(『タイムス』九月十三日)。しかしその種苗開発などは現在実験試行中であり、大浦湾・辺野古海域でそれが成功するかは疑問である。辺野古新基地建設反対の世論の一つはその周辺海域の破壊・汚染である。
玉城氏はやんばるの森・大浦湾・辺野古海域を含む奄美・沖縄・西表島に至る「世界自然遺産登録の実現」(『タイムス』九月十三日)をあげている。
沖縄の人びとのいう「美ちゅら海」という言葉は単にトロピカルツーリズムやコマーシャリズムでなく、自然と人間との根源的・普遍的関係の沖縄的表現である。もともと県民の海に対する認識は海荒への脅威と海幸の恵沢を合わせもつ多様性を示す。と同時に一種祈りの印象を与える。沖縄戦における島の土地とその周辺海域の破壊や七〇~九〇年代米海兵隊による実弾演習ややんばるの森の中にヘリパッドを建設したことによる貯水池の汚染、赤土流出等、戦中・戦後体験からの沖縄の自然環境の再認識が「美ら海」意識を培養・拡大してきた。
だが佐喜真陣営はサンゴの破壊や赤土流失の原因について「沈黙」を守っていた。
「生活最優先宣言」の論理
佐喜真氏はその「宣言の実施対策①」で「子育て、教育王国おきなわ、女性・若者が活躍できるおきなわ実現、県民所得三〇〇万円の実現と子どもの貧困撲滅、子どもの保育・給食費・医療費の無償化を目指す」と謳っている。確かにそのいずれも喫緊の課題である。無論、辺野古か暮らしかという二者択一の問題ではない。選挙戦最終段階に至ると「さきま淳」は、『タイムス』(九月二十二日)一九頁全面を使って「暮らしを最優先に考えてみませんか」の見出しで、沖縄県民が「全国最下位」にある課題を羅列している。参考になるので表にまとめてみた(表②)。
提示されている個別の数値と全国平均との格差の存在は否定すべくもない。しかしこれらネガティヴな数値が県内「対立」から生じたかのごとき提出の仕方には戸惑いを感じる。
沖縄県が経済財政的に全国水準で劣位にあり、他府県との間に格差があることは早くから指摘されてきた。筆者は沖縄返還前から訪沖し、その度毎にその現実を見てきた。いわゆる県民所得一人当り平均が他府県に比してきわめて低い。たとえば、「一人当り国民所得と県民所得一人当りの格差の推移」という以下のごとき統計がある (表③)。
つまり復帰後一〇ポイント強上昇して、それ以後は七〇をこえない有様で、現在もこの格差が続く。ただし所得格差の問題は一筋縄でいかない。
復帰に伴なって、たとえば地方公務員(県職員・自治体職員・公立学校教職員)や公共企業体職員(郵政・電電公社職員)等は全国並みの処遇・賃金となった。だが同時期に沖縄民間労働者の処遇・賃金は同程度には向上していない。したがってここで県民における官公と民間との間に賃金格差が発生したのである。
(注)
県民所得にみられる全国との格差と県内の格差の問題は、沖縄史――とりわけ敗戦後史からみる必要がある。もう一つは沖縄振興策に代表される日本政府のスタンスに問題がある。その振興策は、要約的にいえばインフラ整備・拡充に政府予算が支出され、本土系の大企業にその資金が還流され、地場産業の振興に貢献度が少ないこと、さらにハコ物の建設に伴なう一部地元負担(裏負担)とその維持費の支出で自治体財政が歪な状態にある。したがって県内労働者の雇用、とりわけ正規職労働者が少ない結果となっている。労働者の経済闘争の必要性が問われている。
佐喜真氏の子ども貧困対策
佐喜真氏は子ども貧困対策の財源として「再編交付金」を充当する考えを示している。
たとえば山口県(安倍晋三の出身県)では岩国基地をかかえているので、特例的に再編交付金が子どもの貧困対策に使われている先例があると発言している(『タイムス』九月四日)。再編公付金とは米ブッシュ政権時に海兵隊の再編統合に伴なって沖縄海兵隊の再編で、海兵隊駐留市町村に特別給付する公金のことである。本年、辺野古新基地容認の名護市長誕生とともに政府は名護市に再編交付金二年分三〇億円を支給する手続きをとった(『朝日』八月三十日)。佐喜真氏はこの手法を語っている。これではもし氏が知事になったならば辺野古新基地建設を容認し、再編交付金をキャッチすることになる。今後の選挙に関心を抱く多くの有権者は氏の見識に鋭い批判の反対一票を投じたのではなかろうか。
玉城候補の勝因をめぐって
玉城候補は、「オール沖縄」陣営を中心として無所属浮動票を含め大量票をかち取った。他方、佐喜真候補は政府与党の自民、公明、そして維新、希望の推薦を受け、菅官房長官をはじめ諸党の面々から支援を受けたが当選に至らなかった。筆者はそれぞれの陣営の核となるべき部分の有無ないしその強弱によってこの結果をみる。玉城陣営勝因の大をなすのは、キャンプ・シュワーブゲート前における座り込みと辺野古海岸におけるカヌー隊の抗議の継続闘争をになった人たちの存在であり、それが、いわゆる核になったと思う。改めてその方々に敬意を表する。
もう少し絞り込んでみよう。本年四月末一週間、同工事用ゲート前「五〇〇人集中行動」が取り組まれた。海上でも抗議船やカヌーによる阻止活動が実施された。『辺野古〜奇跡の一週間、500人集中行動の記録』(写真・文 平井茂)はその行動の模様を伝えている。ゲート前行動は「海に落とす砕石などを積んだダンプカーが毎日数百台入れられ護岸工事が強行され」ることにたいして、それをくいとめるための行動計画である。
マスクをつけた機動隊員が複数で座り込み抗議している人を一人一人抱えてデモ隊から抜き出していく光景が写真記録され、非日常の凄惨な、しかし抗議者たちのそれぞれの怒りが震撼するように伝わってくるのだ。果たして五〇〇人結集するのかという杞憂は晴れた。それを超える人々の集団となった。その結集人数、ダンプ搬入台数及び前週搬入数を右下に示す(表④)。
この行動には本紙五月一日号に阪上みつ子さんと大館まゆみさん(カヌー隊)が参加された記録がある。無論この阻止活動はそれ以後も、県当局が「撤回」手続きを行ない沖縄防衛局がダンプ搬入をやめても続けられている。九月一日の「土曜行動」には八〇〇人が参加している。上記四月の集中行動最終日に参加された人々のアンケート用紙回収の結果、四一三名の参加のうち県内参加者八割強であった。
この八割を超える人々こそ、今次知事選の核となる部分であり、自主的選挙運動家であっただろう。この行動に結集する人々の持参した幟やゼッケンに自分が所属する地域運動名を示すものがあった。それは本島及び離島に至るまで新基地建設阻止の組織体が存在することを示している。行動参加者の中には怪我をさせられたり、体調を崩す人もあったが、基本的には非暴力を徹底するので、内面にその思想がより強く培養される。
二〇一四年初頭「海外識者沖縄声明」の中心人物ジョセフ‐カーソン氏は声明作業に向けて自身の考えを明らかにしている。氏は一九四六年にユダヤ人の家庭に生まれて、親戚にナチスのホロコーストで死んだ人たちがいる。子どもの頃に両親から体験をきき、二度とあのような目に遭わせないこと、二つ目は「沈黙の罪」に加担しないこと、三つ目は権力側の嘘を見破り真実を見きわめる「知的誠実さ」こそ人の命を守るとのべている(『沖縄は孤立していない』二〇一八年、株式会社金曜日発行)。カーソン氏の考えは辺野古闘争に参加する人々と根底において寸分の違いもないのである。そこには人類の普遍的な思想が宿っている。以って肝に銘ずべし。
(注)賃金格差問題に対して県内労組が「本土並み」水準にむけた賃金闘争を県総体で行なったかという問題がある。筆者は寡聞にしてそれを知らない。「祖国復帰協」解散、ナショナルセンター総評の解体・「連合」への再編に伴なって沖縄県労協は県「連合」へと再編され、それは「連合」の戦闘放棄に規定されて失速状態である。瀬長亀次郎や国場幸太郎らに代表される沖縄人民党のある時期までの闘争以後「革新」の中軸部分は後退しつつある。沖縄「革新」の衰退の第一の規定要因は「本土」ナショナルセンターと「革新」政党の後退にある。
(『思想運動』1031号 2018年10月15日号)
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