映画時評 韓国映画『タクシー運転手 約束は海を越えて』
市井のひとが「遭遇」した光州事件の二日間


 韓国映画『タクシー運転手─約束は海を越えて─』(二〇一七年、一三七分、監督=チャン‐フン)は、一九八〇年五月十八日から二十七日にかけての「光州事件」を取材したドイツ人記者ユルゲン‐ヒンツペーターと、その記者を乗せたソウル市のタクシー運転手キム‐マンソプがいっしょに過ごした二日間(五月二十~二十一日)の物語である。記者ヒンツペーターは実在の人物で、タクシーに乗って取材に行ったのだが、後日、タクシー運転手を探したけれど再会できなかったという実際の話をもとにつくられた。
 日本にいた特派員ヒンツペーターは、韓国で五番目に大きい都市である光州(一九八〇年当時は七〇万人)に戒厳令が敷かれて音信不通になっているのを知り、なにがおきているのかを知るために宣教師と偽って入国し、光州をめざす。朝鮮半島の南西部、全羅南道の内陸部にある光州まで、ソウルからおよそ二七〇キロ。タクシー運転手のマンソプは、日々の暮らしをなんとか乗り切るのに苦労していてそれ以外のことには関心のない市井のひと。遠距離客で荒稼ぎしようとヒンツペーターを乗せて光州へ向かう。
 当時、韓国内は反軍事独裁・民主化・朝鮮半島の自主的平和統一を求める声が満ち溢れていた。一九七九年に朴正煕(前大統領朴槿恵の父)が暗殺されたあと、全斗煥が粛軍クーデタをおこして実権を握った新たな軍部独裁体制が警察だけではなく軍隊を派遣し、光州で立ちあがった学生・労働者・市民を「暴徒」として殺戮した。ふたりは、軍隊が国民を殺せるし、国家しか守らないという世界共通の事実に光州で直面するわけである。
 さて運転手のマンソプ、現地の凄惨な状況に怖気づき、仕事を放りだして逸早く帰ろうとするのだが、ヒンツペーターの通訳をすることになった光州の大学生ク‐ジェシュクや負傷者を病院へ搬送する光州のタクシー運転手仲間のファン‐テスルたちと知り合うことで、心ならずも、そして道理を通して、記者の取材支援と負傷者たちの救援活動に手を貸す。何度も心が折れて、ひとりで光州から脱出しようとするのだが、最後の最後で「乗客が行けと言えば、タクシーはどこにだって行く」と自らに言い聞かせ、ヒンツペーターを乗せて光州からの命がけの脱出行におもむく。金浦空港で東京に向かうヒンツペーターに名前を尋ねられたマンソプはキム‐サボクと名乗る。ヒンツペーターの記録した映像は、当時、唯一無二の映像として、二十二日に全世界に流れることになった。
 一〇年前、光州事件を正面からあつかった韓国映画『光州5・18』(二〇〇七年、キム‐ジフン監督、本紙八〇四号で批評)では、主人公も光州のタクシー運転手だった。ノンポリの主人公は「光州コミューン闘争」とも呼ばれた闘いを見聞するなかで自らも参加していくのだが、闘いそのものが不十分な描かれかたしかできていなかった。それに比べると、今回はそもそも二日間だけの目撃者という「断片」を描いたためだろうか、逆に、市井のひとびとの扶助・支援の描写から、「光州コミューン」と呼ばれるようになったひとびとの志操が浮かび上がる。
 マンソプは政治活動に目覚めるようになったひとではなく、最後まで日々の生活に一喜一憂する市井のひととして描かれる。そういうひとが歴史的事件に「遭遇」したのだ。われわれ大方の観客は主人公たちの感情に同調してこの映画を観るだろう。しかしそこで満足しないでほしい。光州事件から今年で三八年。日本では敗戦から三八年経った八〇年代、若者は日本とアメリカ合衆国が殺し合いをしたことを知らず、日本が勝ったと思う若者すら出現していた。韓国ではそのようなことはないと思うのだが、ともあれこの映画を、隣国韓国の現代史の重要な事件、そして日本のとった態度をより深く知る契機としてもらいたい。なにしろ当時の自民党政府は、この非人道的行為を非難することをせず、他国の内政には不干渉といって、事実上軍部独裁政権の弾圧を支持していたのである。そして当時、日本の地でも、「韓国軍部独裁政権糾弾」「光州学生・労働者・市民との連帯」「韓国民主化闘争支持」「朝鮮半島の自主的平和統一支持」「光州事件の首謀者と捏造された金大中氏死刑執行阻止」をかかげて、日本人と在日のひとたちといっしょになって、連日のように日本国内で抗議と連帯の集会がひらかれ、デモがおこなわれた。八月八日には日比谷野外音楽堂で一万人集会が開かれ、銀座の夜空に闘争歌とシュプレヒコールが響きわたった。
 さいごにひとつ。この映画の中で、光州の街路を埋め尽くした学生・労働者・市民は闘争歌『われらは正義派(プリパ)だ』をうたっていた。しかし当時うたわれたもう一つのうた『われらの願い』という統一を求めるうたは画面から流れてなかった。朴槿恵が大統領の時代に企画・制作が進んでいたためだろうか。そのうたも光州でうたわれていたことを思い浮かべながら、この映画を観てほしい。【井野茂雄】

(『思想運動』1021号 2018年5月1日号