朝鮮半島情勢の急展開と日本人民の課題
未だ加害者の位置にあることの認識を
南北の自主的平和交渉の進展
日本政府と大方のマスコミと「朝鮮問題専門家」が、平和と統一をめぐる朝鮮半島情勢がこの数か月の間に突如として、劇的に変化したと騒いでいる。もちろんわれわれは、朝鮮半島での戦争(核戦争)の危機がとり除かれ、南北朝鮮が統一の道を歩むことを願い、この間の動きを断固支持する。しかしこれは、朝鮮民主主義人民共和国(以下、朝鮮)の突然の方針転換によって進展した、あるいはそれが米日韓をはじめとする「国際社会」の制裁・圧力によってなされたかのような政府・マスコミによる「解説」を断じて肯定するものではない。
しかし、一九四五年の朝鮮解放、南北分断、朝鮮戦争とそれにつづく米日韓による朝鮮圧殺策動、そしてそれへの朝鮮の一貫した抵抗の歴史をきちんと追えば、この「解釈」=宣伝がいかに的外れな捉え方、朝鮮悪玉論に基づくものであるかが分かるだろう。
二〇一七年十一月の「火星一五号」の成功以来、国家核武力の完成を宣言した朝鮮は平昌オリンピックを契機に南北特使の派遣を重ね南北首脳会談を設定し(それはついに四月二十七日に成功した)、同時に金正恩委員長みずから中国を電撃訪問し、習近平主席と首脳会談を行ない、またマイク‐ポンペオ米次期国務長官を平壌に迎え直接交渉をし、五月中から六月上旬の朝米首脳会談まで取り付けた。
この四か月程の目まぐるしい外交展開を通じて南北朝鮮と米国、中国という四者の枠組みができあがり、そこでは「朝鮮戦争を終結させるべきである」という合意も形成されつつある、マスコミが報じている南北共同の「板門店宣言」にもこれらの考えが明確に示されている。
この急速かつ、具体的動きは、朝鮮の党・政府がその平和戦略にそって着実に交渉を進めたのと同時に、朴槿恵前政権を退陣させた大韓民国(以下、韓国)内の人民の闘いが重なったことで現実となっていることを、われわれは直視しなければならない。
宣言は「南北は……共同の繁栄と自主統一の未来を早めていく」こと、「わが民族の運命はわれわれ自身が決めるという民族自主の原則を確認し」ている。
一貫する安倍政権の平和妨害策動
しかしこの平和への歩みの「足を引っ張る」ことばかり考えているのが安倍政権である。つい先日まで「(朝鮮を)完全破壊する」と軍事攻撃も辞さない勢いの米国を後ろだてに圧力一辺倒を叫び、外相河野は「拉致問題こそが最重要課題だ」と叫んで回り、四月二十三日カナダで行なわれたG7では「非核化の実現までは制裁を維持する方針」と「拉致問題の即時解決」を取り付けた。また「(朝鮮が)次の核実験の用意を一生懸命やっている」などとその根拠すら示せない(アメリカの朝鮮研究機関「38ノース」が否定)ことを言いふらしてもいる。もし朝米が平和条約を結び朝鮮半島の和平が実現に近づけば、日本の戦争国家化も壊憲も、かれらが騙ってきたその最大の根拠を失うと考えているからなのだろう。
何が、日本労働者階級の弱点か
しかし、われわれが論ずべきは日本の支配階級と安倍政権の悪辣さや愚かさだけでなく、それを許してしまっているわれわれ日本人民の決定的な弱点についてであるべきだ。われわれ労働者階級は本質的には圧倒的多数である。
にもかかわらず闘いが後退を強いられているのは何故か?それはわれわれが連帯しきれていないからだ。つまり労働者階級としての認識が総体として解体させられ、個別に分断させられているからである。それがたとえば、「モリ・カケ」疑獄や一連の公文書偽造問題における国会とその周辺、マスメディアなどでの追及の盛り上がりと比較して、先述した安倍政権による朝鮮半島の和平の動きを妨害する策動に反対し、追及する姿勢が決定的に弱いところにも表われているのではないか。それは日本人民の多数が、「北朝鮮=ならず者国家」という安倍やトランプの謂いに首肯している弱点を、かれら敵階級に突かれているからだ、とわたしには見える。
日本軍性奴隷犯罪の告発を黙らせようと押し付けた「日韓合意」にしても、「日朝平壌宣言(〇二年)」「ストックホルム合意(一四年)」を無視し「拉致問題」を政治的カードとして手放さないためにその解決をネグり続けてきたことについても、「朝鮮半島の核」の問題についても、日本の人民は真正面から安倍政権を批判することができないでいる。そのことが安倍政権の野放し状態を生み、戦争政策の遂行を可能にしている最大の要因ではないか。
実際、四月下旬の各紙世論調査を見てみると、一連の疑惑での首相安倍に「責任がある」あるいは「納得できない」との回答率は七、八割に達しているのに、安倍内閣の支持や自民の支持率は下がったとはいえ、いまだに三割程度を維持し、その理由は「他に適当な党がない」あるいは「支持政党なし」が四、五割となっている。しかも各野党の支持率が、数パーセントずつでほとんど変わっていない。ここにも安倍政権への真正面からの反対運動が展開できず、野党が説得力を持った批判を成し得ていないことが表われているのではないだろうか。
騙すのと騙されるのは騙す方が悪いに決まっている、などという「道徳教育」的見方があるが、実際には騙される多数者の存在とデマ宣伝とは双対関係(双方が互いを成り立たせている)である。
「平和勢力」の態度
先月二十日の金正恩委員長の「核実験中止宣言」に対しての日本国内の態度についても幾例か見てみよう。「核兵器禁止条約」の国連採択で活躍したとしてノーベル平和賞を受賞して話題になっている「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」だが、その運営委員を務める川崎哲は「北朝鮮の非核化が核のない世界の出発点に成り得る」といろいろなところで語っている。しかしかれは、実験の中止を歓迎しつつも、具体的な核廃棄に向けたプロセスについては核保有国や米国の核の傘の下にある日本、韓国なども不参加の「核兵器禁止条約」を利用するよう強調する。また、広島や長崎の被爆者団体の中からも、中止を歓迎しつつも「核兵器の廃棄には言及していない」とか「手放しでは喜べない。核実験場を本当に廃棄したのかを検証するなどしっかりと見極めないといけない」との声が報道されている。このように朝鮮の核も米国の核もどっちも反対どころか「北朝鮮の非核化が先」といった主張が平気で受け入れられてしまうのが現在の日本人民の思想的現状である。
しかし現実に、つい先日も「化学兵器が使用された」ことを口実にして米英仏帝国主義軍によるシリアへの爆撃がなされたが、同じことがアフガニスタンでもイラクでもリビアでも繰り返されてきている。外相河野が参加した先のG7でも「シリアへの武力攻撃については、……全ての努力を完全に支持する」とされたではないか。もはや、軍事力による報復を禁じた『国連憲章』すら堂々と無視するのが、今日では当たり前になっているのだ。
実際には米国こそがクーデター、戦争行為、テロ組織への支援、政権交代を支援する秘密の活動を展開し、しばしば国連を悪用することで主権政府を崩壊させようとしてきたのである。その数は実に、この約七〇年間で五七か国に及んでいる(『社会評論』一九〇号「国家破壊はいかに行なわれるか」/富山栄子参照)。そして米国による体制転覆が「成功」している国は、いずれも核を手放すか、ないことを明らかにした国々なのである。
朝鮮半島における米国の戦略は、核兵器を含む軍事的圧迫と、それにより朝鮮をして核開発せざるを得ない状況に追い込み、国力を核開発につぎ込ませ、同時に経済封鎖による社会主義経済の破綻を引き出すか、さもなくば防衛の隙を見つけ実際に限定爆撃という武力と経済の両面を駆使した体制崩壊を目指したものである。これに対する朝鮮側の戦略が「経済も武力も並進させる」という対抗戦略であり、それが二〇一三年三月の「並進路線」の宣言であった。
そして二〇一六年の朝鮮労働党第七回大会では、これまでの国防委員会を廃止し国務委員会に取り換え、国家の中枢からは職業軍人が減りテクノクラートの登用が強調された。この流れが四月二十日の「核実験と大陸間弾道ミサイル実験の中止」とも繋がっている。これらの動きは朝鮮が「圧力に負けた」というより、米国の出方を織り込み済みで計画した戦略にそって対応していると見るべきだろう。
このように見てくれば、ただ「北朝鮮の核実験はけしからん」「北朝鮮の非核化」と叫ぶだけでは、その主観的意図はどうあれ結果としては米国の核を免罪し「朝鮮半島の非核化」を遠ざけることにつながる。われわれは、誰のためのどんな「平和」を保障することになるのかを考えてみるべきである。
階級的歴史認識を
日本の植民地支配から解放されて間もなく、朝鮮半島に二つの政府ができたのはちょうど七〇年前の一九四八年である。この間、分断された朝鮮半島では平和と統一をめぐって南北が互いに排斥しあうような矛盾構造の中におかれてきた。
その一方でこの矛盾構造に責めを負うはずの「日本人」は「平和憲法」の傘の中にすっぽりと納まり、あたかもこの現実を自分たちとは無関係の「災い」であるかのごとき虚構の中に置き去りにしてきた、否、むしろ閉じこもってきた感がある。それが、この数年間の日本の戦争国家化への反対運動やその他の諸課題で顕著となっている闘いの停滞の連続に現われているのではないか。
二〇一六年十二月の朴槿恵政権が弾劾訴追へと追い込まれた現象についても、日本の平和運動内部には、これがただ二百数十万人のキャンドルデモでもたらされたかのような見方があり、したがって日本でも同じことをすれば(そもそも現状では無理なのだが)安倍政権を退陣に追い込めるとの思い込みも少なくないようだ。しかし実際には、このキャンドルデモと朴退陣は韓国内のさまざまな社会問題への闘いが何年も積み上げられた結果なのである。その過程の中の一例をあげれば、韓国のナショナルセンターである民主労総は「セウォル号沈没事件の真相究明」を掲げてストライキを打ったと聞く。そのような「土壌」が韓国にはあるのだ。
しかし日本では政権中枢の政治的無秩序状態が連日報道されているが、いまや政治ストどころか経済ストすら打てないほどに土壌は干からびてしまっているのが現状である。けれども、ダメな現状がダメなままでいいはずがない。
日本の労働者・人民の担うべき課題は、はっきりしている。日本の軍事大国化を阻止し、少なくとも日朝関係の歴史を近年だけでも日本人民の常識とさせ、日本政府が朝鮮圧殺をしたくともできない社会的、経済的状況を日本人民の手で日本人民の中に勝ちとることである。その闘いが平和と労働者階級の連帯を求めるインターナショナルな運動の展望をつくりだす。そしてそれなくしては国内の諸課題も解決不可能であることを肝に銘じたい。【藤原 晃】
(『思想運動』1021号 2018年5月1日号)
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