資本主義延命策の一環としての社会保障破壊
あらゆる分野で着々と進む弱者切捨てに抗して


 日本の人口は一〇年前から減少が続いている。死亡数が出生数を上回り、最近の二年間は、出生数は一〇〇万人を割り込んだ。今のままではこの傾向は強まりこそすれ弱まることはないだろう。
 社会の労働生産性が上がれば、人口減少社会でも人々の生活は改善し、労働時間も短縮されていくだろう、というのは甘い夢であった。第四の産業革命と言われる情報通信技術(IT)の急速な進歩は、人工知能(AI)の登場にまで突き進んでいるが、現実の人々の暮らし向きはいっこうに良くならない。むしろ、安定した職場は失われ、長時間の労働が増え、人々の労働者としての自尊心は傷つけられ、多くの人びとにとって明日に希望を持てない社会が出現している。
 誰が見ても、技術の進歩とそれによる労働生産性の向上が、労働者人民のためになっていないことは明らかだ。それは、もっぱら資本主義社会の維持、資本主義的利潤の飽くなき追求のために利用されている。資本主義社会の「社会保障」は、その事実を隠すための利潤のお零れに過ぎない。そのお零れでさえ、資本はさらに人民から取り上げようとしている。そのことは、二〇世紀のソ連・東欧の社会主義革命の頓挫により、より明確かつ激烈になってきた。
 医療社会福祉分野の現状にも、そのことが明確に読み取れる。
 十二月の新聞記事をみると、社会保障の切り崩しが矢継ぎ早に掲載された。厚労省は十四日、生活保護のうち食費や光熱水費に充てる「生活扶助」の支給額を最大一四%引き下げるとしていた当初案を見直し、下げ幅を最大五%に縮める方針を固めた。当初の下げ幅は生活保護世帯への情け容赦のない攻撃であるが、厚労省による減額の理由が、「一般低所得世帯」の消費実態と生活保護世帯の受給額を比べ、保護世帯の受け取る額が多いから、ということに現政府の獰猛さが現われている。生活保護基準は、憲法で保障された最低の生活を保障する基準である。それ以下の生活をしている国民がいれば生活保護基準まで引き上げることこそ政府の役割である。
 マスコミは、ここでも生活保護世帯の例外的な「不正」をこれ見よがしに暴き立て、人民を分断し、政府の社会保障攻撃を翼賛している。生活保護受給世帯は二〇一七年九月の時点で約一六四万世帯を超え、二〇年間で約二・七倍となった。このうち独居の六五歳以上の高齢者が四八%を占めている。高齢化社会の到来は予想されたことである。自民党ほかの保守政権は、この間大企業優先の経済政策を推進し、人民の生活を改善する政策を意図的に後回しにしてきた。そしてそのツケを今になって人民に押し付けようとしている。政府の言う「持続可能な社会保障」とは、「資本主義が持続可能な社会保障」という意味であり、資本家とその代弁者である政府は、資本主義的利潤の追求のためには、いつでも平気で「社会保障」を切り捨てるのである。厚労省の発表によれば二〇一五年に母子家庭の母親が働いて得た年収の平均は二〇〇万円であったという。
 これは生存権を保障した憲法二五条の「健康で文化的な最低限度の生活」の限界を超えている。さらに政府は、中学校卒業までの子どもに支給する「児童手当」について、所得制限の強化で実質負担増を迫る見直しを一九年度以降に行なう方向を固めたという。現政府による社会保障費の抑制には際限がなく無慈悲である。
 一八年四月は、二年ごとの医療保険と三年ごとの介護保険の同時改定時期にあたる。介護報酬は〇・五%前後のプラス改定、医療報酬は薬の公定価格である「薬価部分」を一・三%程度引き下げる一方、医師らの技術料や人件費にあたる「本体部分」は〇・五%程度引き上げ、全体として一%引き下げ、医療費四〇〇〇億円程度の削減につなげる計画である。介護報酬改定は焼け石に水である。多くの高齢者は、行き場を失う。
 保険医の団体である「保団連」は適正な医療を確保するために一〇%以上のプラス改定を求めているが、政府寄りのマスコミは介護・医療報酬の抑制は不十分と政府の尻を叩いている。
 社会保障破壊の詳細を述べる紙幅はないが、政府が今後の社会保障の費用のすべてを逆進性の強い消費税増税に求めようとしていることとそれを多くのマスコミが支持していることは特筆に値する。これから怒涛のように押し寄せる政府自民党の弱者切り捨て(社会保障破壊)のプログラムは、すでに内閣府の「骨太の方針2017及び経済・財政再生計画について」と政府の経済財政諮問会議が作成する「経済・財政再生計画 改革工程表」に事細かく盛り込まれている。後者には①社会保障分野、②社会資本整備等、③地方行財政改革・分野横断的な取組、④文教・科学技術、外交、安全保障・防衛等の四分野に分けて周到な資本主義延命のための工程が述べられている。資本家階級は、膨大な官僚機構を駆使して、資本家階級の利益と資本主義の生き残り策を人民に押し付けるのである。
 これらの熾烈かつ全面的な社会保障への攻撃に対して、人民は個別の反撃に追われている。しかし、資本主義体制の枠の中での改革では、資本の利潤追求より優先されることはありえない。それどころか人民は生かさず殺さずの領域にまで必ず落とし込められる。人民の社会保障は、資本主義体制を打ち砕き社会主義社会を展望する中でしか勝ち取れない。 【岡本茂樹】

(『思想運動』1014号 2018年1月1日-15日号