天皇退位騒動の顛末
天皇制翼賛体制に「NO!」を
天皇退位を法制化する特例法案が六月九日の参議院本会議で全会一致により可決・成立した。共謀罪の政治焦点化、政権を揺るがすスキャンダルの発覚と喧騒をよそに、こちらはまるでそれとは別世界だった。さしたる波風が立つこともなく、天皇制が政治上の対立の緩衝装置として働く、後味の悪い、与野党の呉越同舟が物の見事に貫徹した。
退位表明からおよそ一年、政権にとってそれは、明文改憲の政治日程を狂わせかねない障壁として立ちはだかった。政権側はさっさとケリをつけたかった。そして事は思惑どおりに進行した。だから安倍は五月はじめ、衆議院の現任期中の改憲発議を安んじてぶちあげることができたほどだった。
この間の経過をとおして、天皇(宮内庁)と官邸(政権)のぎくしゃくした関係が続いていたことが明るみに出された。護憲路線と改憲路線の対立などではもとよりなかった。退位の表明は、皇位継承者が底をつく天皇制存続の危機を憂える現天皇が、男系男子による継承(萬世一系イデオロギー)に執着し身動きが取れない政権にしびれを切らした、明白な憲法違反の実力行使だった。退位表明から有識者会議の招集と審議、法案作成に至る底流を貫いていたのは、これだった。本紙一月一・十五日号に、皇位継承者は現皇太子のあと、事実上悠仁ひとりに絞られると書いた。去年十一月、悠仁を乗せたワゴン車が中央自動車道を走行中、前方車両に追突する不祥事が発生したとき、関係者はさぞかし肝を冷やしたことだろう。しかも悠仁が天皇になる頃には「皇族」そのものが消滅する。皇族を増やすこと、皇位継承者の予備軍を探し出すことが焦眉の課題となっていた。
そうしたさなかに飛び出した秋篠宮の長女眞子の結婚前提の交際報道は、天皇退位のときと同様、宮内庁がNHKに意図的にリークしたという穿った見方が三文週刊誌で報じられた(『週刊新潮』六月一日号)。一代かぎりの特例法に不満を抱く天皇が、閣議決定を前に、またひとり皇族が減るぞと無言の圧力をかけたというのだが、真偽のほどは分からない。退位のときの失敗に懲りて情報収集と目付役を兼ねて西村泰彦(元警視総監・内閣危機管理監)を宮内庁次長として送り込んだものの、政権の意図は空振りに終わり、菅が腹を立てているというのだ。
政府が招集した有識者会議では一六人が呼ばれて意見を陳述したが、そのなかに退位に反対し、天皇は宮中にとどまってひたすら祈ってさえいればよいといった趣旨の発言をした者が二人いた(平川祐弘と渡部昇一)。天皇制原理主義者に言いたいことを言わせるガス抜きにすぎなかったのだが、天皇はそれに衝撃を受けたという報道もある(五月二十一日『毎日新聞』)。
かれらの言説を狂気の沙汰とあなどるなかれ。国家神道の祭主としての天皇観が克服されず、生き延びて、いまなお隠然とした影響力を保持している証しなのだ。
特例法案の成立により、天皇の退位=新天皇の即位、「先例」にしたがえば違憲の疑いの濃厚な即位礼と大嘗祭の執行に続いて、「付帯決議」に盛られた「安定的な皇位継承を確保するための諸課題」に焦点が移る。野田政権時に試みて失敗した「女性宮家の創設」にこだわる民進党と、女性天皇につながる「女性宮家の創設」を避けたい自民党・政権側が、検討開始時期を含めて綱引きした挙句、玉虫色の表現で折り合った。双方にあらかじめ「政争の具にしない」という暗黙の了解があった。悪臭ふんぷんたるブルジョワ的“理性”が勝利した瞬間だった。
自民党と政権側は「女性宮家の創設」にしばられるつもりはないようだ。結婚する女性の皇族に「公務」を継続して担わせるとか、旧皇族の男子と結婚させるとか、苦し紛れの弥縫策が飛びかい始めている。五月十九日付『朝日新聞』は「首相周辺が最近、保守系の学者に男系男子孫のリストアップを依頼した」と報じた。同紙はその前日の「社説」で「手をこまぬいているうちに、事態は抜き差しならないところに進みつつある」と危機感を募らせ、政府に「これまでのような先送り・不作為は、もはや許されない」と注文をつける念の入れようだった。ときに進歩的ポーズを取ることもあるマスコミも、一皮むけば、国家権力と一蓮托生なのだ。
男系男子の皇位継承者探しはすでに始まっている。いや、すでに終わっている、と言い換えるべきかもしれない。反動雑誌『新潮45』一月号特集「皇室改革再考」はこの「依頼」を先取りしていた。「傍系なしに天皇家は存続しなかった」、探索の範囲を広げれば「後胤」を探し当てることは不可能ではないと書いた村上政俊(皇學館大學講師、元衆議院議員[維新]一期)。
皇籍を離脱した(させられた)旧皇族の系図をしらみつぶしに調べ、誰それが京都でワインバーを経営していたなどといった類の実例もあげて、「皇統譜の管理」を提唱した八幡和郎(徳島大学教授)。村上に至っては、継嗣 のいなかった武烈亡きあと応神の五世の孫で先帝から十親等離れた「継体」(在位五〇七―五三一)を越前から迎えて即位させたと記紀に書かれた伝承を持ち出し、皇位継承者探しの旅に思いを馳せる時代錯誤を臆面もなくさらした。
皇位継承有資格者の枯渇は、裏返せば、天皇制廃絶の好機到来を意味する。村上や八幡のような、愚劣きわまる思考と行状に訴えてまで、なぜ天皇制を維持・存続させねばならないのか。こういう問いを真正面から対置すべきなのだ。
二〇世紀は君主制が音を立てて崩れた時代だった。君主制を敷く国は劇的に減少した。世界を見渡せば、君主制は前近代の遺物として、かろうじて命脈を保っているにすぎないのである。【山下勇男】
(『思想運動』1003号 2017年6月15日号)
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