朝鮮に対してどの立場にたつのか
「どっちもどっち」論かプロレタリア国際主義か


 五月三十日付『朝鮮中央通信』は「精密操縦誘導体系を導入した弾道ロケットを新しく開発し、試験発射」を成功させたことを明らかにした。
 これを三十日付『産経新聞』は、安倍政権の決定的な腐敗には頬かむりして、「北朝鮮が29 日、3週連続で今年9回目の弾道ミサイル発射を強行した」(三面解説記事)として「国連安全保障理事会の決議が禁じている北朝鮮の弾道ミサイル発射は、どんな理由をつけても正当化されない」(二面「主張」)と書き、他の商業紙もほぼこうした内容に準じた(社説で「対話による問題解決」を主張した『琉球新報』を除いて)。NHKはものものしく安倍や菅の談話を垂れ流し、民放各社もロケット発射映像のあとに必ず金正恩国務委員長のうれしそうな表情の映像を繰り返して流し、朝鮮民主主義人民共和国(以下、朝鮮)の「挑発」「威嚇」という言葉がマスメディアを席巻し、「決して容認できない」「断固たる対応が必要」といった勇ましい言葉が乱舞する、そんな毎日をわれわれは強要されている。
 だが、なぜ朝鮮がこうした行動をとるのか? それを、直近では今年三月から強行された米韓合同軍事演習「キー・リゾルブ」「フォール・イーグル」や、これから日本海=東海(朝鮮・韓国では東海と呼称)の海域で繰り広げられる二隻の米核空母カール・ビンソンとロナルド・レーガンを軸とした米日・米韓合同軍事演習などと関連させてみる現状認識(日本政府とマスコミは、鬼の首をとったかのように「日本海の排他的経済水域に北朝鮮のミサイル落下」は言うが、この合同軍事演習で飛び交うだろう砲弾や漁場被害にはまったく触れない)、そこからさかのぼってこの朝鮮半島における戦争の危機の淵源を、一九五三年の朝鮮戦争停戦協定に違反して朝鮮半島南半部に国連軍=米軍を存続させ、米韓相互防衛条約を締結して核兵器を持ちこむなど、こんにちにいたる対立の構図をつくりだしたとみる階級的認識、さらにさかのぼって東アジアの近現代史のなかでの日本と朝鮮、欧米列強のたどってきた歴史――こうした認識を、階級闘争を担ってきた先達の仕事に学びながら、日本の労働者階級じしんが自力で獲得しない限り、またもや排外主義の大洪水に押し流されてしまうだろう。
 否、いまがその屈服した姿なのだ。こうした、ものごとを階級的、歴史的、そしてインターナショナルな視点からみようとする認識が欠如しているから、保守反動はもちろんリベラル層のなかにまで、「金正恩もトランプもどっちもどっち」や「米朝のチキンレース」といった謬論から逃れられないのだ。こうした没階級的な認識にはまっていたのでは、日本労働者階級じしんの解放もかちとれない。
 この間、冒頭の『産経』記事のように「国連安保理決議」が錦の御旗のように掲げられ、これに異をとなえる者は「ならず者」として扱われてきたが、果たしてそうか? 
 いま日本のマスメディアがまったく報じない事実を、ここに紹介する。五月三十日付『朝鮮中央通信』は国連駐在の朝鮮常任代表部副代表の記者会見を報じた。そこでは、国連安保理の対朝鮮「制裁決議」の法律的根拠を明らかにするよう、朝鮮がこれまで国連事務局に何度も要求してきたが、埒があかないため、国際的な法の専門家たちによる演壇の場を国連事務局が組織し、その場で「制裁」されるべきは朝鮮なのか米帝国主義なのかを正々堂々と明らかにしようと呼びかけているのだ。そのことは、今年三月の朝鮮法律家委員会白書がより詳細に暴露している(『社会評論』一八八号に翻訳掲載)。これこそ、言論による徹底した非暴力のたたかいの実践ではないか? しかし、国連事務局は一貫してそれをネグレクトしている。
 結局、このようにして見てくると、米日が行なおうとしているのは朝鮮半島の非核化ではなく、朝鮮半島のアメリカ化だ。これを、過去に侵略・植民地支配を受けた自国の歴史を教訓化して自主を掲げるにいたった社会主義朝鮮が受け入れるはずがないではないか。朝鮮に対する態度は、戦争国家化反対・「共謀罪」廃案をたたかう日本労働者階級人民の進路をするどく問うプロレタリア国際主義の試金石なのである。 【土松克典】

(『思想運動』1002号 2017年6月1日号)