第八回キューバ連帯・アジア太平洋地域会議(マニラ)に参加して
分科会で〈思想運動〉の連帯活動を報告


 本紙は創刊からプロレタリア国際主義にもとづく社会主義国人民との連帯活動に取り組んできた。以下は、社会主義キューバを支えその実践に学ぶ国際会議への参加報告である。なぜキューバは、米国からの過酷な経済制裁をはじめとした困難に直面しながら、新自由主義を排除し教育・医療などの人民の権利実現を第一にめざすことができるのか。そこには、人民主権を追求する社会主義思想がキューバ革命の勝利以来、ひいてはロシア革命にその源流をもちながら脈打っているからにほかならない。 【編集部】

 四月八日(土)~十日(月)の三日間、フィリピンの首都マニラにおいて「第八回キューバ連帯・アジア太平洋地域会議」が開催された。主催はフィリピン組織委員会とキューバ諸国民友好協会である。
 わたしは、〈活動家集団 思想運動〉を代表して仲間の二人とともに本会議に参加するため、厚手のコートから解放されたばかりの日本から日中の温度が三五度~三六度のマニラに飛んだ。タクシーで会場となっているホテルへ。運転手が「大統領が代わって治安が良くなりましたよ」とか「この道路脇はごちゃごちゃしていて貧しいけれど、塀のすぐ向こうは金持ちの家が並んでいます」などと話してくれる。会議に参加するだけでなく、短い滞在でどれほどマニラの様子がわかるか、楽しみなスタートを切った。

会議の成り立ち

 さて、この「キューバ連帯・アジア太平洋地域会議」は、一九九四年十一月ハバナで開催された「第一回世界友好連帯会議」(一○九か国の代表が参加)が契機となって開催されるようになり、「ハバナ会議の成果」であると言われている。なお、共同主催している「キューバ諸国民友好協会」は、一九六〇年、世界中の人びとの友好と団結の絆を強化するために、キューバ革命の成功直後に設立されたNGOである。今年新総裁に「キューバ5」の一人であるフェルナンド‐ゴンザレス副総裁が就任した。
 本会議の第一回は、一九九五年九月にインドのカルカッタで開催された(一二か国・一六〇名以上が参加)。会議の議題は、「一、キューバ連帯の諸組織の任務。キューバに対する経済封鎖反対・米軍グアンタナモ海軍基地のキューバ返還を求める国際的キャンペーン活動について。二、キューバ人民との連帯強化におけるメディアの役割について」である。以後、ほぼ二年ごとに会議が開催されていて、これまで、ベトナム(一九九七年と二○一五年)・スリランカ(〇八年・一二年)・ラオス(一○年)等々の国で開催されてきた。前回の「第七回ハノイ会議」は、キューバとアメリカの間で五三年間封鎖されていた大使館の再開を含む、キューバの対米関係正常化のなかで開催された。会議で採択された「ハノイ宣言」は、「本会議は、キューバ革命を特徴づける主権・独立・公正という理想に基づくものであり、参加者はキューバ防衛によって、より良い世界が可能であるという希望が維持されることを自覚する」と高らかに宣言している。

米からの承認をかちとったキューバ

 今回の「第八回マニラ会議」の主催者を代表しての、フランシスコ‐ネメンゾ‐Jr.博士の開会宣言は、胸を打つものであった。
 「フィデル‐カストロ前議長が亡くなって初めての会議を開きますが、最終的には米がキューバを認めたことになります。キューバの勝利であり、それは、世界中のキューバ連帯の努力の成果であり勝利であります。フィリピン人に対しても、大きな影響を残しました。フィリピン政府は、大臣をキューバに派遣して『キューバに学ぶ』という姿勢をとっています」と。さらに「現在フィデルがいませんが、わたしたちの闘いは続いています。かれが残した教訓・経験はわたしたちのなかに生きています。レーニン、フィデルの教えが目の前にあります」と、フィリピンが社会主義キューバに学ぶことの重要性を語った。

キューバの社会保障に学ぶ比政府

 つづいてフィリピン政府代表者(彼女は医者だ)は、キューバの医療体制を見学したことを報告し「キューバはWHOよりもはるかに高い成果をあげています。フィリピンの場合は三○%の人びとが医者にかかることなく死んでいます。カストロは革命後に医者を育てることを決定し、医療制度に二五%の国家予算が使われています。フィリピンは五%以下です。ドゥテルテ大統領は、キューバのモデルをどのようにフィリピンでできるかというのが大きな課題だと言っています」と発言し、実際に病院を作り、医者や看護師の育成に取り組みだしていることを紹介した。
 キューバ代表団・団長のマルタ‐ロハス女史は、今大会が開催されたことへの感謝の意を述べ「米国の経済封鎖をやめさせること、グアンタナモの返還を望むこと、これがわたしたちの優先課題です」と挨拶した。

会議で『思想運動』・『社会評論』を紹介

 その後、二日間にわたって二つの分科会が開かれ、わたしたちは議題二に参加した。そして、新聞『思想運動』・雑誌『社会評論』・英文『SHISО‐UNDО』ニュース等のメディアによるジャーナリズム活動を通して、カストロの演説の紹介、キューバ共産党大会の報告、「キューバ5」救援活動などを行なってきたことを報告した。また、労働者の学習の場である「HOWS」でキューバについての学習会を行なってきていること、今年度のHOWS開講講座(五月十三日・土)で今会議の報告を行ない、グアンタナモ米海軍基地についても映像を使ってとりあげることを伝え、参加者一同から大きな拍手を受けた。
 開会宣言で「レーニン、フィデルの教えが目の前にあります」と言うように、「あきらめず闘い続けること」、そして「世界の人びとと連帯すること」を参加者一同で誓い、「マニラ宣言」(次号に掲載予定)を採択し、二年後の第九回大会の開催を確認した。
 あらためて、このような「社会主義国との連帯」を主張する会議を、政府や市が支援し開催(一日目の歓迎会はエストラーダ・マニラ市長〔元大統領〕が参加、二日目は政府が主催)することができるフィリピンに敬意を表したい。三日目はホセ‐マルティ記念碑、サンチャゴ要塞などの見学を、会議参加者有志で行なったが、要塞に掲示されていた「日本兵によって多くのフィリピン人が虐殺された」と書かれたプレートは、安倍政権が消し去ろうとする歴史をまさに物語っていた。【村上理恵子】

(『思想運動』1000号 2017年4月15日-5月1日号)